2008年3月30日日曜日

2003年10月号「荒れる」


 連日熱帯夜が続き、眠りは浅く、疲れを持ち越したまま仕事に出掛ける。
夏休みは稼ぎ時だ。私達似顔絵描きの仕事は歩合制なので、
夏休みなど長期休暇のシーズンは、出来る限り頑張っておかないとならない。
一ヶ月で普段の月の2倍ほど稼いで、その余分を駄目な月に回すことで、
やっとこ暮らしているのだ。
暑くたって、子供が泣いたって、良く寝てなくたって、頑張る気でいたのだ。
ところがこの期に及んで、現場の上の方から場所を移れとかいってくる訳。
先方から指定された場所に入って見ると、オーマイガーッ!
ここにはお客様なんて来やしないのだ。
肝心要の稼ぎ時に、この仕打ちはないでしょう。
こっちは生活が掛かってるんですよ。憤懣やるかたないです。
*例によって、この文章は現在のものではありません。ご心配なく。

2008年3月29日土曜日

2005年6月号「あじさい見物」


 子供が生まれる以前のこと、
妻に誘われて、白山神社にあじさいの見物に行った。
境内がぐるりとあじさいの路に囲まれている。
記念に写真を撮ろうという事になったのだが、
大勢の見物客の中で、良い場所に陣取って、いつまでも動かない人達が居る。
何かと思って見ると、水彩画サークルの人らしく、熱心にスケッチして居るのだ。
それは良いけど、この人達は景色の良い場所を離れないので、
写真を撮りたい私達にとっては、すごく邪魔なのだ。
妻と二人で(どいてくれ光線)を発射するのだが、
この人達は私達の気配に、気づいて居るのか居ないのか、
全然動じないのだ。迷惑この上ない。
さりとてこれ以上のことは出来ず、私達は良い場所を探して移動したのだ。

2008年3月27日木曜日

2001年3月号「さてどうしたものか」


 暗い湖面を背後にたたずむ一人の男。
何か考え込んでいる風情だ。悪相である。
となれば悪巧みを練っている様に見えてくる。
奸計ををもって国を乗っ取ろうとしているのかも。
誰と誰が味方で、誰を陥れて、誰は利用してとか。実に嫌な奴である。
でもちょっと待てよ。暗い画面と悪相の男。
これだけの情報で、このように決めつけてよいのだろうか?
夜の湖畔で、遠く離れた故郷の家族のことを想っているのかもしれない。
悪政に耐え、この国を何とかしなければと、苦悩しているのかもしれない。
顔が恐いのは生まれつきかもしれないではないか。
我々は何と目先の印象だけで、簡単に物事を決めつけてしまうことか。
自分で描いたこの人物の設定、さてどうしたものか。

2008年3月26日水曜日

2001年5月号「海とカモメ」


 暖かくなってきた。たまには何処か一泊旅行がしたい。
似顔絵描きという職業柄、関東近郊の観光地に出掛けることはよくある。
でもそれは仕事で行くのであって、少しも観光気分に浸れるものではないのだ。
それでも以前、仙台での仕事の翌日に休みを取って、
松島で遊覧船に乗ったことがある。
甲板に上がって見物すると、船の後から何十羽というカモメが追いかけてきて、
なかなかの壮観である。観光客の投げる餌が目当てなのだ。
わざわざパンくずの撒き餌が一袋いくらで売っている。
手のひらに乗せたパンをカモメが飛びながら、
上手いこと咥えていくのは、とても愉快だ。
そんなことを思い出しながらこの絵を描いた。
結婚して2年になるが、新婚旅行はまだだ。
*この文は昔書いたもの。その後、新婚旅行には行きました。

2008年3月25日火曜日

1996年10月号「ちっぽけ劇場の朗読会」


 西荻窪の近くに人形劇公演を専らとする「ちっぽけ劇場」がある。
そこの稽古場で毎週木曜日の夜開かれる朗読会、「ことば塾」に通った。
皆さんに朗読の楽しみを披露しよう。
一、毎週一度,出掛けて行く時と場を持つということ。
一、人との関わりの場があること。一、大きな声を出すこと。
一、長くやっていると呼吸が整ってくること。
一、人前で話す勇気が培われること。
一、自分の朗読で人が感動してくれる喜びがあること。
一、書店で朗読のために本を探す楽しみがあること。
一、必然的に本を沢山読むようになり心が豊かになること。
皆さんもやってみませんか。
*12年も前の文です。この劇場が今もやっているかどうか分りません。

2008年3月23日日曜日

2005年10月号「リアルビジョン」


 最近こんな仕事がしたいと思っている。
日頃からテレビの旅行番組を好んで見ている。
タレントが地方に出掛けて、美味しいものを食べたり呑んだりするのを観るのが好きなのだ。
自分がしたいと思っていることを、テレビの中でタレントがやっている。
それを観て追体験しているのだ。
それでしたい仕事と言うのは、料理や旅行雑誌の依頼で地方に行き、
旅先の風景やら料理、出会った人の似顔絵等を切り絵で描き、
紀行文を添えるのだ。大好きな旅番組の出版メディア版と言ったところか。
また美味しくて有名な飯屋や居酒屋を訪ねて、
同じような趣向で頁を作るのだ。これが出来たら最高に楽しいと思うのだ。
さあやるぞーっ。そのために心の世界、創造の大地にしっかり根を張るんだ。

2008年3月21日金曜日

2000年7月号「諸葛孔明」


 中国の歴史小説「三国志」のなかで最も人気がある、
と言っても過言ではないであろう諸葛孔明。
劉備玄徳の軍師であり戦略家として今日でも評価が高い。
生涯変わることなく理想を求め、ひたすら努力をし続けて生きた孔明は、
自らを振り返ってこう言っている。
「私の才能は少ないのに、危険を冒さないで天下を定めようとすることは、
不可能であります。私はひたすら死力を尽くすだけで、
勝つか負けるかを予測など出来ません」
何と謙虚でひたむきな生き方なのだろう。
私はこうした先人の話を聞いて、どうしても自分の現在の生活を
、考え直さないわけにはいかない心境になってしまう。
「人生の使命と目的のために、まず目標を定め、
それに向かって失敗を恐れずに、一歩前に出るのだ」

2008年3月19日水曜日

2002年8月号「滝沢馬琴」


 江戸時代後期の戯作者。旗本用人の家に生まれる。
24歳で山東京伝を訪ね入門する。
「椿説弓張月」をはじめ、数多くの読本を発表し、
当時の小説界にその地位を確立する。
その頃は今で言う印税制度はなく、原稿は買い取り制で、
後で本がいくら売れても作者の収入が増えるという事はなかった。
有名作家でありながら、生活は苦しく、様々な副業をこなしていた。
48歳にして生涯のライフワーク大長編「南総里見八犬伝」に取り掛かり、
完成までに28年をかけている。
このような破天荒な伝奇物を書きながら、
自らは武士の家柄にこだわるような人で、
他人づきあいの下手な人だった。享年82歳。
私も似顔絵だけでは食えず、副業をしている。
他人づきあいも下手だ。

2008年3月18日火曜日

2005年7月号「温泉天国」


 温泉旅行がしたいなあ。家族3人でのんびりと、広いお風呂に浸かりたい。
飼い猫の光の世話を、猫好きの友人に頼んで、心置きなく出掛けるのだ。
子供が生まれる前に夫婦旅行をした、養老の滝温泉あたりが良いだろう。
旅館は料金が安くて、部屋はきれい。
旅館スタッフの暖かいもてなしを受け、出される料理はどれも美味しい。
温泉は広~い露天風呂がいいな。
夕食後にゆっくり入るとする。見上げれば満天の星だ。
思いっきり楽しんだ後の、心地よい疲れに、子供はぐっすりと眠ってしまう。
その後で妻と二人、水入らず、やっとくつろいで、
辛口の地酒をちびちびと遣りながら、肩の凝らない世間話でも、
時間を忘れてしてみたいのだ。ああ極楽、極楽。

2008年3月16日日曜日

2001年11月号「ヨハネス・ブラームス」


 19世紀後半に、後期ロマン派の作曲家として活躍したブラームスは、
新世紀を迎えようとする時代の雰囲気の中で、
当時の新しい音楽の流れに、あえて乗らず、
過去の楽聖達の残した音楽遺産を継承し、完成させることを自らの使命とした。
「ハイドン、モーツァルト、ベートーベンと言った
十八世紀の神々のような音楽家たちに比べれば、
私たち、十九世紀の音楽家は、普通の人間にすぎない」
ブラームスは過去の楽聖達の音楽に強い憧れを抱きながらも、
自分の未熟さに絶望している。
それでも音楽に魅かれ一生を通じて練磨と研究を続けた。
凡人似顔絵描きの私にも、天才の仕事を前にして切望する気持ちは良くわかる。
私も努力の天才ブラームスに倣って生きたい。

2008年3月14日金曜日

2002年7月号「北条早雲・星辰」


 北条早雲が好きだ。人生50年と言われた時代に、
50歳を過ぎてから新たな人生をいき直した早雲に、
51歳の私は希望を見る思いがするのだ。
若き日の早雲、伊勢新九郎は足利幕府に仕える申次衆であったが、
政府の中に居ながら、理想と現実の間で挫折感を募らせていた。
やがて職を辞し、自分の生きる道を求めて臨済宗の大徳寺に参禅した。
「所詮、人はいずれ死ぬ身、いつでも死ねる覚悟が出来ていれば、
その日を精一杯生きることができる。
一日一日を覚悟して生きれば、たとえ成し遂げられなくても心が迷うことがない」
53歳で新たな人生をスタートさせ、
88歳で亡くなるまで小田原に北条氏五代の繁栄を築いたのだ。
私だって、まだまだ頑張るぞう。

2008年3月13日木曜日

2002年4月号「ロートレック」


 アンリ・ド・トゥールーズ・ロートレックは、
1864年西フランスの名門貴族の家に生まれた。
伯爵家の繁栄を守るための、家系内での便宣的な結婚であった。
やがて両親は別居し、母は結婚の失敗を埋め合わせるかのように、
残されたアンリの養育に没頭した。
彼は少年期に相次ぐ事故で両足を骨折し、
下半身の成長が止まった。
母の愛情が尚さらに注がれたことは、想像に難くない。
17歳のかれは、母の独占欲から逃れるように、
パリに出て絵の勉強を始めた。
やがてその才能を開花させたが、
ナイトクラブや売春宿などに足繁く通う放蕩生活に傾斜していった。
それは母の呪縛に対する反発のようにも見える。
30歳頃からアルコール中毒になり、36歳で没した。

2008年3月11日火曜日

1998年5月号「閉塞」


 「恐い、嫌っ、ほっといてよ。どこにも行きたくないわ。
ここに居る。ここから動きたくないの。嫌っ、誘わないで。
やめて、触らないでよ。本当にほっといて頂戴。
駄目だめ、出来ないわ。よけいなお世話よ。
私に構わないで、お願いだから。ドアの外に誰かいるわ。
嘘、わかってるわ。笑ってる。私を嘲ってるんだ。
口惜しい。ひどい。惨めだわ。私がこんなに苦しんでいるのに。
もう、許して。苛めないで。私はこんなにみすぼらしい。
こんなに汚い。最低です。お願い軽蔑しないで。
無力で何をする元気もないの。嘘じゃない、本当よ。
わかって。何で分ってくれないの。もう、嫌だ。
誰も分ってくれないんだ。何もかも嫌だ。
嗚呼、あっち行って。一人にしてお願い。疲れたわ。」
これは作っているが、私もこういう気持ちになったことがある。
だから分るよ。ただ言えることは、いつか必ずそこから抜け出せるということ。

2008年3月9日日曜日

2006年5月号「我が家で温泉気分」


 私のストレス解消法は休みの日に朝からお風呂に入ること。
昼過ぎにも入って、日に何回も入るのだ。
ただ狭いバスタブの中では思いきり脚を伸ばせないので、
逆にストレスに感じたりもするのだが。
それにしても朝からお風呂と言う過ごし方は、
私にとって最高の贅沢であり、休みを満喫する一番の方法なのだ。
だから出来るかぎり楽しもうと、”温泉の素”などを投入して、
気分を盛り上げようと努力する訳。
使った温泉の効能書きなども読んで、
自らプラシボー効果を求めたりもするのだ。
眼を閉じて温泉郷に居る自分を想像する。
美味しそうな地酒や料理をまぶたに想い浮かべれば、
我が家に居ながらにして、もう温泉気分なのだ。いや~極楽、極楽。

2008年3月7日金曜日

2006年4月号「コーヒーカップ」


 家族で後楽園ゆうえんちにマジレンジャーショーを見に行った。
4歳の息子の熱狂振りがすごかった。
泣き、叫び、無我夢中で声援を送っている。
それを側で聞いていて、父として嬉しかった。
幼少時の子供の心にファンタジーの世界がしっかり出来ていれば、
大人になって辛いことがあった時に、
そのファンタジーの世界に逃げ込むことが出来ると言う。
親は子供の夢を壊さないようにして、その世界を共有することが肝心だ。
心無い大人に「あのヒーローの中には人間が入っているんだ」等といわれて、
夢を壊され続けた子供は、大人になって辛い時に、
その世界が無いから、病気に逃げたり、
お酒に逃げたりするようになってしまう。
息子は今、心にファンタジーを育んでいる。
*これは以前に描いたものです。現在、息子は6際になり、4月から小学校です。

2008年3月6日木曜日

2001年7月号「千体観音・光転の連鎖」


 百八態羅漢に続き自分なりの仏画を描いた。
京都・三十三間堂の千手観音からイメージを膨らませた。
観音様のことを施無畏者と言うのだそうだ。
恐れのない気持ちを施す者の意味。
私達のような、忍土でもがき苦しんでいる者を、哀れと思い、
その苦しんでいる最後の一人まで救い取ることが出来ないうちは、
自らもあえて如来とならない。と言う本願を立てた仏様なのだ。
そのような志高き一人の人間の、愛に満ちた行いが、
周りの人々を感化し、次々に連鎖して広がってゆく様を、
曼荼羅の様式を借りて描きたかった。
心の上に刃を置くと書くこの忍土において、
人の苦しみ我が苦しみ、人の喜び我が喜び。
と感ずることが出来たらと思います。私の理想です。

2008年3月4日火曜日

2005年5月号「近未来都市アクア」


 お台場のアクアシティを夜景で描いた。
背後には今話題のフジテレビが望まれている。
あの辺りには近年、どかどか新しいビルが建ち、
その意匠は、昔観た未来物映画の一場面のようだ。
以前、東京ビックサイトに行った時は、夜だったせいか、
景観の異様さにすごく驚いた。
フジテレビの建物の、真ん中に何のためか球体を抱えた姿も、
夜中にライトアップされた様子は、怪しく美しく、
その先を見上げれば、UFOでも飛んでいそうな気がしてくるのだ。
手前に謎めいた美女を描こうと思っていたが、
描いてみると、平凡でちっとも面白くないのだ。
猫の仮面か,猫人間か、ここまでやって納得がゆきました。
少年の頃の気持ちに戻って、近未来としました。

2008年3月3日月曜日

2004年11月号「私は猫になりたい」


 妻との雑談中、戯れに「もし生まれ変わるとしたら、
何になりたいか」などと言う話になった。
妻はは飼い猫のひかるをちらっと見て、「猫がいい」と言った。
その訳は一日中寝ていても誰にも怒られない。
働かなくても餌をもらえる。トイレの掃除もしてもらえる。
気が向いた時だけ人間に遊んでもらい、毛づくろいをしてもらう。
何でもマイペースで人の顔を伺うこともない。
話している内に自分のことになり、
「だって生きているのがこんなに辛いんだもの。
朝起きるのが辛いんだもの。安心して寝ていられないし、
職場では同僚に苛められるし、人が恐いし、
皆がわたしを責めるし、私はどうしたら良いか分らないんだもの」
私は何と言えば良いのか分らなくなった。

2008年3月2日日曜日

2008年4月号「池波正太郎」


 私が未だ鬱病の闇の中でもがいていた頃、
友人のK君に「どうすればこの苦しみから自由になれるのか分らない。
何か拠り所になるようなものが欲しい。
何かあったら教えてくれ」と聞いてみた。
彼は池波正太郎を薦めてくれて、その訳を「思い遣りかな」と言った。
池波の描く時代劇の世界、人と人の間には暖かい人情が通っていた。
そこのところが私に何かを与えてくれるかもと。
早速、何冊か池波作品を読んでみた。
「剣客商売」が特に気に入って、シリーズを全部読んでしまった。
そして一年ほどたった頃、電車の中で読んでいた時、
はからずも涙が溢れてきた。発病以来この方、涙なぞ涸れていたのに。
小説に込められた他人を思い遣る気持ちに、
ゆっくりと癒されていたのだ。回復の始まりだ。