2015年12月28日月曜日

山藤章二③



これは2月号になるんだろうが、書いている今は年末なので、気分としては新年の抱負を語りたいところだ。僕ももう65歳になる。あと何年の人生が残されているか判らないが、未だ何かを成し遂げたと言うにはほど遠い現状だ。小学校の頃「将来は漫画家になる!」と宣言してここまで来たが、漫画は描けずに似顔絵を描いている。似顔絵にはそれなりに誇りを持っているが、夢から逸れている感は否めない。こんな年齢になっても未だ漫画にこだわりをもっている。似顔絵も漫画の一ジャンルだと言うことも出来るが、言い訳がましい。せめて今の似顔絵に漫画的なアイディアを加えられればいいのだが。桑田真澄さんの言に倣って、今までのいきさつは横に置いて、今から始めよう。一所懸命に今を生きよう! オ。

2015年11月24日火曜日

「ナンシー関」




ナンシー関、消しゴム版画家にしてコラムニスト。1962年~2002年。僕が始めて彼女の絵と文に触れた頃は未だ健在であった。消しゴムを彫って描いた似顔絵は、僕の切り絵の似顔絵に相通じるものを感じて、興味深く似顔絵を見、文を読んだ。最初その辛辣な語り口を痛快に思いながら読んでいたが、中に僕が好きなタレントの悪口を見つけるに及んで、いきなり嫌いになった。「ただ毒を吐いているだけじゃないか」などと言って切り捨てた。しかし彼女が39歳の若さで急死してから、彼女の死を惜しむ声が沢山上がり、嫌ったのは僕の僻みの様な気がして改めて読み直している。今は彼女を率直で正直な人なのだろうと思うようになった。尊敬もしている。合掌。僕もこんな仕事が出来たらいいなと思う。 オ。

2015年10月23日金曜日

桑田真澄




以前スポーツの世界で、体罰による死亡事件が相次いで起こった際に、新聞で桑田真澄さんのコメントを読んだ。相撲部屋の親方が若手力士を過剰な暴力で死亡させた事件について、スポーツの世界特有の因習とか、しきたりがあることを言い訳にする風潮があった。桑田さんは起きてしまったことに、因習や今までのしがらみがあるのはわかった。では過去は過去として、これからは変えてゆけばいいではないか!と言うような趣旨の発言をしていた。僕はそれを読んで、すっかり桑田さんのファンになってしまった。素晴らしい!卓見だと思いました。また体罰が愛情の現れだという言い訳にも「私は体罰に愛を感じたことは一度もありませんから」と切り捨てる。こういう人の似顔絵を描くのは嬉しいです。  オ。