2008年6月30日月曜日
1999年2月号「狐の嫁入り」
お天気雨のふる日には、山の中で狐の嫁入りがおこなわれている、と言う。
よく晴れていて日が照っているのに、急に雨にふられて、
不思議な気持ちになることがあるが、あんな時に狐の嫁入りがあるわけか。
また昔話で、夜中に山裾や川原で、正体不明の灯りを見ることがある。
それを狐火と呼んで、狐火がいくつも連なって見えると、
あそこを狐の嫁入りが通っているのだ、と思ったという。
この絵は私が講師を務める、切り絵教室で、生徒さんが描いてきた作品に、
私ならこう描くと、参考までに描いたものだ。
新潟の祭りの写真から起こした。
普段自分が描かないような題材も、こうして縁あって描いて見ると、面白いなと思った。
2008年6月29日日曜日
1998年9月号「おーい、愛してるよ」
毎年、成増アクトホールを描き続けて、これが4作目になる。
ポレポレの会だよりのバックナンバーを、引っ張り出して見れば、
4年の歳月の移り変わりが、作風にも風景にも、微妙に発見されて面白い。
4年前、私は何をしていただろう。
ちょうど4年前の夏のある日が、最後の通院日だった。
以来薬を飲む代わりに、自分の心を見つめ続ける事で、
躁鬱の波に呑まれないようにしている。
欝は苦しいけど、ウンウン言いながらやり過ごした。
むしろ心すべきは躁の時だ。気分の良いときは気をつける時。
そんな時は過去に自分が、どんなに人に迷惑を掛けたか、
どれだけの人を傷付けてきたか、思い出すのだ。
自分の後悔こそが未来への指標なのだ。
*これを書いた時点で4年前と言うから、今からは14年前になる。
治ったのは遡ってその1年前だ。念のために1年間通い続けた。
それを入れると15年心を見つめ続けている。
これからも、もっと厳しく自分を見つめ続けたい。
自分の心の見つめ方はプロフィールに書いた高橋佳子氏の本が教えてくれた。
2008年6月28日土曜日
「草なぎ剛」
2008年6月27日金曜日
2008年6月26日木曜日
「若き自画像」
*1995年1月29日から2月16日の期間、
池袋サンシャイン展望台のスカイギャラリーにて切り絵展を開催した。
それまで喫茶店等でも個展をさせてもらった事はあるが、
本格的なギャラリーでの開催は初めてだったので、すごく嬉しかった。
タイトルに若きなんて付けたが、この時すでに44歳である。
私は若い頃、ちゃんと定職に付かず、いつまでもフリーター生活をしていたし、
その内鬱病になって、自ら成長する事を拒んでいた時期が長かったので、
何時までも大人になりきれてない顔をしていたのだと思う。
病気が治って、働き出し結婚もしてからは、老ける速度が早まったように感じる。
それからこの絵はいつも載せている表紙絵とは違う。
ポレポレの会だよりに載せていない作品も少しはある。
徐々に出してゆくつもりだ。
2008年6月25日水曜日
1997年2月号「約束の地」
2008年6月23日月曜日
1999年12月号「ブリの煮付け」
2008年6月22日日曜日
1997年9月号「織田作之助」
2008年6月19日木曜日
2002年9月号「優しい人」
以前、テレビで若い女性に「どんな男性が好きか?」と言うアンケートをとった結果、
圧倒的多数が「優しい人」と応えていた。
「男らしい人」でも「かっこいい人」でも「金持ち」でもなかった。
その理由が「自分を傷つけないでくれるから」と言う。
傷付けられたくないもんな、実際。
職場で嫌な上司に怒られたら、それだけで次の日、
会社に行きたくなくなっちゃうからな。
だけど会社には行かねばならず、そのために病気になったりするもんね。
せめて好きな異性には、優しい人を選びたくなるわけだ。
ところが付き合ってみると、優柔不断なだけであったり、
ひたすら嫌われたくないばかりに、相手に合わせているだけの人であったりするわけだ。
イエス様のような人はなかなか居ませんよ。
2008年6月18日水曜日
1995年10月号「星に誓った願い」
2008年6月14日土曜日
1996年5月号「心の窓」
この頃は、私はまだこの同人誌に文は書いていなかった。
切り絵も自分の手元にある物を、ただ気まぐれに送っていたのだ。
自分の絵が印刷物に載るのが、単純に嬉しくて無責任に送っていたのだ。
だから当時の絵は、縦横比もまちまちで、どのようにレイアウトされるかも、
完全にあちら任せの気分でやっていたのだ。
締め切りをまもる意識もあまりなく、載らない号があっても、大して気にしなかった。
これの次の号の時、文も書いて欲しいと言う、編集長の言葉が私の絵に添えてあった。
それから、レギュラーとしての意識が芽生えてきて、
毎月締め切りを落とさずに十年以上描き続けている。
今振り返れば、この連載のお陰で、毎月少なくとも一枚は、
必ず新作の切り絵を描く事になったのだから、
いくら感謝しても有り余るほど、有難い環境を頂いたと思う。
ポレポレの会の皆様、有難うございました。
2008年6月11日水曜日
2008年7月「カーマ・スートラ」
昔の作品を描き直した。
30年程前は、自分が何を描きたいのか分らずに、こんなものも描いていた。
当時は、どうしてもこれが描きたいという、気持ちもなしに描いていた。
たまたま出会った、切り絵と言う表現手段は、下手な絵も上手く見える。
と言うことに気付いて、このジャンルで作品を書き溜めていけば、
自分でも絵の世界で、やって行けるんではないか。
等と淡い期待を抱きながら、描きたいものも無いまま、とにかく描いていたのだ。
あれから長い時を過ごし、作品を増やしてゆくうちに、
知らない間に、自分が書きたいものだけを描くようになっていた。
今回生活に追われ、新作を描く気力の湧かないまま、旧作描き直したのだが、
描いているうちに今現在の、自分の絵として蘇ったのだ。
*こう言う作品は普段描かないのだけどね。
2008年6月9日月曜日
2003年2月号「我が家のヒカ兄ちゃん」
息子の風祐は一歳になった。猫のヒカルは三歳だ。
風祐が生まれる前に「赤ちゃんに猫は危険ではないのか」と言う人が居て、
心配したが、妻が石坂啓のエッセイから、猫が居ても大丈夫だと言う話を見つけてきて、
少し安心した。幸い、ヒカルが風祐に危害を加えるような事は一度も起こっていないし、
これからも無さそうだ。むしろ心配なのはヒカルのストレスの方で、
新たな家族の出現に、我が家での自分の地位がぐらついた様な気分らしく、
風祐をかまっていると、すごく甘えてくるのだ。
新しい兄弟が増えると、上の兄弟が赤ちゃん帰りをするという話を聞くが、
まさにそれと同じであった。ヒカルは大事な家族だよ。これからもよろしく。
*例によって、この文は昔書いたものです、風祐は現在、六歳になりました。
2008年6月8日日曜日
1998年10月号「母の肖像」
2008年6月4日水曜日
1996年8月号「アンリ・デュナン肖像」
2008年6月2日月曜日
1998年11月号「すき焼き」
仕事仲間や友人と、いつか鍋物を一緒に囲みたいとよく思う。
でもなかなか実現しない。でもやりたい。
鍋物は私にとって家族団欒の象徴なのだ。もう十五年以上ひとりで暮らしている。
たった一人で食べるご飯の味気なさよ。と言うことである。
家族で暮らしていた頃は、夕食によく鍋を囲んだものだ。
木枯らしの舞う風景を外に、暖かい我が家の居間で、父母姉弟家族4人が、
なにか和気あいあいと語りながら、鍋をつつきあっている。
時々笑い声の上がる情景が、私の懐かしい、未来に憧れてやまぬ、
我が家の原風景なのだ。
*これを描いてから早十年になろうとしている。その間に結婚をし子供も儲けた。
息子は今6歳だ。今までは子供が小さすぎて、鍋など囲むのは危なくてやらなかったが、
そろそろやってみたいと思っている。友達も呼びたいな。
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