2008年9月25日木曜日

1998年7月号「Mozart」


 六本木アークヒルズのカラヤン広場で、
月に一週間くらい似顔絵コーナーを開く場に恵まれている。
ある人の仕掛けたイベントで、いろんなジャンルのアーティストが、
自分の作った作品を、本人が販売すると言うのが、売りのクラフトマーケットだ。
ひょんなことで僕もこのイベントにまぜてもらっている。
売り上げが直接生活に掛かってくるので、
楽しくもあり、厳しくもありと言うところ。
なんとか売り上げを増やそうと、色々と考えた内のひとつが、
カラヤン広場にちなみ、サントリー・ホールへ、
コンサートを見に来たお客様をターゲットに、
作曲家の肖像を切り絵ハガキにして、売ってみようと言うもの。
まず試みにモーツァルトを描いてみた。頑張るぞー!
*このプランは、クラフト・マーケット自体が終了してしまったことで、立ち消えになった。

2008年9月22日月曜日

「N氏の肖像」


 以前、知人に頼まれて、そのまた知人の写真から描いた。
こういう作品は意外と楽に進められる。
何もないところから、イメージを膨らませるのに比べれば、
写真から描くという縛りが、逆に何も考える必要がないぶん楽なのだ。
いつも言うが、切り絵と言う画材は、このように楽に描いたものでさえ、
絵として見応えのあるものになってしまう。
わりと絵心のない人でも切り絵をやる人が多い所以である。

2008年9月20日土曜日

「陽のあたる場所」


 1952年度、アメリカ映画の名作。
モンゴメリィ・クリフト演じる主人公が、
貧しい境遇から上流社会(言わば陽のあたる場所)に、
のし上がるチャンスにあって、昔の恋人が邪魔になり、
事故を装って殺してしまう。
やがて事件は発覚し、逮捕され、死刑の判決を受けると言う物語。
モンゴメリィのいつもおどおどした暗い眼に、
何だか自分が重なって見えて、すごく恐かった。
一方、対照的に上流社会の象徴として登場する、
エリザベス・テイラーのなんと美しかったことか!
*ラベルの偉人伝と言うくくりは変かなとも思ったが、
有名人は偉人伝としてくくるながれになっているので、そうした。

2008年9月18日木曜日

「その男」



 この絵は前(5月5日)にこのブログに載せた「男と海」と言う絵の原型なのです。
ポレポレの会だよりの締め切りが迫ってきても、新作のイメージが湧かないとき、
苦し紛れに昔の作品を引っ張り出してきて、そのまま載せたり、
サイズが合わないときには、描きなおしたりする事がある。
大昔に描いたものと比べて、
当然、描き直した方が良くなっているかと言えば、
意外にそうでもない事がある。
これなどまさにその通りで、描き直したほうは無難にまとまっているが、
なんだか絵の雰囲気としては、原型のほうが良く観えるではないか?
如何でしょうか?

2008年9月17日水曜日

「星空のユンユン」


 病気で長い間、周りに迷惑をかけた。
そのことに何かお返しがしたかった。
CCWAの里親運動を知って、フィリピンの子供に、僅かな援助をさせてもらっていた。
最初の里子のユンユン君へ、誕生日のプレゼントに描いた絵だ。
何人かの子供に、10年くらい続けたが、
結婚して、子供が出来ると、もう経済的に余裕がなくなって、手を引かせて頂いた。
これからは、このような援助は出来ないかもしれないけど、
今後の人生は、似顔絵でボランティアをしたいと思っています。
ただし自分の家庭に余裕が出来るまで、今しばし出来ないんだ。
申し訳ないです。

2008年9月15日月曜日

「彼岸花と少女」


 むかーし、描いた作品。
かなり手抜きの絵だ。
切り絵と言う画材の特徴は、下絵がかなり下手でも、
切り絵にしてみると、なんとなく絵として様になって見えるという点がある。
これなぞその良い例だ。

2008年9月12日金曜日

2003年3月号「ジャンヌ・ダルク」


 15世紀初頭、フランス北東部のドンレミ村に、
普通の農家の娘として、ジャンヌは生まれた。
13歳の頃「オルレアンに行ってフランスを救いなさい」と言う神の啓示を受けた。
苦悩の末に立ち上がり、戦いに加わったジャンヌはイギリス軍を追い払った。
にもかかわらず味方の裏切りに合い、敵の兵に捕らえられた。
屈辱の宗教裁判によって、異端者の汚名を着せられたジャンヌは、
火炙りの刑に処せられて、わずか19歳でその生涯を閉じた。
ジャンヌの人生を思うとき、私は逡巡の多い自らの人生を恥ずかしく思います。
当時、農村に生まれた普通の家の少女が、
一国の軍隊を率いて戦うなど、いかに稀有なことだったか。
権威も、腕力も、学問もない少女がです。
一つの目的に向かって、まっすぐにひた向きに生きたとき、
人は信じられないような力を発揮する。
私も残りの人生を、悔いなく生きなければと思います。

2008年9月11日木曜日

1998年6月号「良寛さん」


 「師は、我が家に二晩どまりで泊まられた。
すると、自然に家族が仲良くなり、家の中が和気で満たされる。
師と一晩語り合えば、胸の内が清らかになるような気がするのだった。
師は、ことさらに経文を説教したり、
善行をするようにと勧めるわけでもない。
台所で火を炊くのを手伝ったり、座敷で座禅をされた。
話の内容も、詩歌のことでも道義の事でもなく、
のんびりとして、自然に振舞っているだけで、
道義の感覚を人に伝えてしまう方だった」
良寛を良く知る解良栄重と言う方が書き残した言葉です。
お上人とか禅師とかよりも、
良寛さんと、さんづけで呼ばれる事が、自然でぴったりしている。
そんな良寛さんが大好きです。

2008年9月4日木曜日

2008年9・10月号「昔の自画像」


 毎年、夏休み明けに、手抜きの作品を載せているんじゃなかろうか?
本当なら、今回は9・10月合併号なので、いつもよりじっくり取り組む時間があるわけで、
大作を期待されても当然なのだが。
ところが人間というものは、理屈どおりには生きられないのだ。
時間が余れば、あまったで、油断したまま締め切りをむかえてしまった。
嗚呼、我ながら情けない。
そこで、今までも何回か使った、裏技を出すことになりました。
すなわち、昔描いた作品を、引っ張り出してきたのだ。
この自画像は現在の私とは、まるで別人のようだ。
元気そうで、はち切れそうではないか。
15年ほど前の私か?タバコをやめた影響で、太ってしまった頃の私だ。
諸行無常ですね。

2008年9月3日水曜日

1997年6月号「成増アクトホール3」


 今年も私の所属する板橋きりえ会の、サークル展の季節がやってきた。
毎回のテーマである「板橋を切り絵で描く」に応えて、
またもやアクトホールに取り組んだ。
そこらへんの経緯は当会便り№69に書いたので、良かったら読んでください。
*このブログで言えば7月6日のところに書いてある。

2008年9月1日月曜日

1996年6月号「マーク・トウェイン」


 *これも当時まだ切り絵だけを投稿していた頃のもので、文はない。
マーク・トウェインは私が中学生の頃かな?正確に覚えてないが、
国語の教科書に「トム・ソーヤの冒険」が載っていて、好きになり、
続けて「ハックルベリィ・フィンの冒険」を読んで、夢中になった。
以降はトウェインの作品なら、手当たり次第に読んだ。
一般に余り知られていないようなものも読んだ。
「王子と乞食」がトウェインの作って知っていました?
他にもトム・ソーヤのシリーズで「トム・ソーヤの探偵」や
「トム・ソーヤの探検」なんて物もあるんですよ。
ユーモア作家として知られているトウェインだが、晩年は身内の不幸が続き、
すっかり厭世的になってしまうのだ。痛ましく辛い事だ。
天国で家族と再会して幸せになっていますように。
冥福をお祈りします。合掌。