2008年12月25日木曜日

2009年1月似顔絵出演予定

2日(金)ららぽーと東京ベイ(以下ららぽーと)
3日(土)サンリオピューロランド(以下サンリオ)
4日(日)ららぽーと
6日(火)サンリオ
7日(水)ワールドポーターズ
8日(木)ワールドポーターズ
10日(土)ららぽーと
11日(日)サンリオ
13日(火)サンリオ
14日(水)ワールドポーターズ
16日(金)サンリオ
17日(土)イベント
19日(月)サンリオ
20日(火)サンリオ
21日(水)サンリオ
22日(木)サンリオ
24日(土)ららぽーと
26日(月)サンリオ
27日(火)サンリオ
28日(水)サンリオ
30日(金)サンリオ
*以上の通りです。
尚、仲間や自分の病欠その他の理由により、
予告なく出演場所が変る事もありますが、悪しからず。

2009年1月号「2009年父子共作年賀状」


 ポレポレの皆様、新年明けましておめでとうございます。
我が家では、年賀状はどなたにも出しませんので、
この場を借りまして、新年のご挨拶とさせていただきます。
今回の切り絵は、7歳の息子ふうすけと、私の共作です。
一般に子供の絵と言うものは、実に自由で伸び伸びしていますね。
常識にがんじがらめにされた、大人には描けないような絵を見せてくれる。
息子が学校で描いてきた絵を見たとたんに
「切り絵にしたい!」と思った。
一応本人の同意が必要と、聞いてみたところ、快く承諾してくれたたので、
この様な、私なら普段思いつきもしない切り絵が出来上がったわけだ。
すごく嬉しい。今年もがんばるぞーっ!
どうぞよろしく。

*さて、今年始めからぼちぼち出してきたきり絵も、
とうとう底をついてしまった。166枚だった。
仕事になったのでここに出せない絵も、まだあるが、
たったこれで終わりかと思うと情けない。
明年からこのブログはどうなるのか!?
今考え中だ。もしかしたら、私の似顔絵に対する気持ちを書いてゆく、
日記風ブログにしてゆこうかと思っている。
すなわち「似顔絵そっくり宣言」だ。
今年の、過去の切り絵を出してゆくブログとは、大分趣が違ってくると思うが、
引き続きどうぞよろしく。

2008年12月24日水曜日

2008年1月号「おせち料理」


 子供の頃、正月の食卓には必ずおせち料理が並んだ。
昆布巻き、れんこん煮、筍煮、里芋、花形人参、
椎茸煮、栗きんとん、伊達巻、有頭海老の酒蒸し煮、
紅白蒲鉾、田作り、こはだ酢漬、ゆず生酢、黒豆、等々。
元旦の朝、ゆっくり置きだして、
居間のテレビから聞こえるお琴の曲や、
炬燵の上に並んだ重箱に、いっぺんに正月気分になったものだ。
それから年賀状の束を取ってきて、
家族それぞれに振り分けてゆくのも、正月ならではの楽しみだった。
て現在はどうか。
元旦から似顔絵のイベントで、早朝急いでパンを食べて出かけ、
昼は仕出し弁当だ。夕食に妻の実家に帰ってきて、
やっとおせちの登場となる。
年賀状も出さないから、余り正月気分は味わえぬ。
この場を借りて、明けましておめでとうございます。

2008年12月21日日曜日

2007年1月号「2007年・猪八戒」


 明けましておめでとうございます。
年末年始と、続けて猪八戒を描いてしまいました。
下絵を観た友人に、
「年賀用のつもりらしいが、猪八戒は豚だぞ」
と突っ込まれてしまいました。
ま、いいじゃないですか。今年は細かいことに拘らずにいってみよう。
と、かように考えるわけであります。
猪突猛進、がむしゃらに突き進んで行きたいですな。
失敗を恐れていたら、何も始まらないものな。
真に恐れるべきは、逡巡しているうちに、
人生の時間が、無くなってしまうことだろう。
よーし、今年は失敗するたびに自分を褒めてやれ。
「良くやった、偉いぞ、やらないよりよっぽど偉い」
神よ、今年も一年、ポレポレに心を込めて、
良い切り絵と文を書くことが出来ますように、

2008年12月20日土曜日

2006年1月号「2006・戌年」


 新年を迎え、新たな気持ちで生き直したいと思います。
我が人生を振り返れば、
自分の中にある「甘え、依存心の強い怠惰な心」
「すぐ怒りに駆られる不満の心」
「人間不信から来る恒常的な恐れの気持ち」
と言った心の癖に、いつも足元をすくわれていた。
怠け心は努力を嫌い、問題の先送りを重ねてきた。
不満の心は、分ってくれない相手を責め、
怒りの毒で、相手も自分も傷つけてきた。
人間不信の心は、他人の眼差しばかり気にして、
心を開いて人と関わる事を恐れてきた。
こんな事の繰り返しはもう嫌だ。もう止めにしたい。
思い通りにならないことも受け入れ、
自他を信じ、勇気を持って自分から人と関わってゆく。
努力を惜しまず、始めた事は最後まで続ける。
私は今年変ってみせる。

2008年12月19日金曜日

2005年1月号「2005・飛ぶ鶏」


 恭賀新年。
普通、にわとりは空を飛ばないものですが、
こいつは飛んでしまったんですね。
今までの常識をくつがえしてますよ、まったく。驚きましたね。
テレビでにわとりが高い木飛び乗っているのを、見たことがあるけれど、
そういうレベルの飛躍ではないんですよ。
悠々と大空を何処までま自由に飛んでゆくのだから。
誰にも信じられないような快挙ですよ。
さあそこで、今年の抱負を述べさせて頂きます。
私は自分で描いたこのにわとりに、自分を重ねてあやかりたいのだ。
想像の限界が可能性の限界だ。夢は出来る限り大きく持ちたい。
大ぼら吹きと言われようとも、そこへ向かって大真面目に邁進するのだ。
私は世界一の似顔絵描きになるぞーっ!
元旦の夢。

2008年12月18日木曜日

2004年1月号「申年・年賀」


 毎年、お正月には気持ちを新たにして、
今年こそはと飛躍と発展を心に誓うのだけれど。
いつしか日々に生活に追われ、ふと気がつくと、
何にも変らないまま「あっ」と言う間に年の瀬を迎えてしまうのだ。
我ながら情けないほど、決意も努力も長続きしないのだ。
だけど、それでも。やっぱり今年こそはと心に誓い、
でっかい抱負を胸にいだきつつ、この一年を始めようじゃないか。
目標はなるべく大きく持ったほうが良いですよ。
どうせ成るようにしか成らないんだから。肩の力を抜いて、
やれるだけやってみよう。
駄目でもともとの精神で、今年はやってみようと思っています。
「頑張れっ!」と言う言葉は、人には言えないが、
自分には、今年言ってみよう。

2008年12月17日水曜日

2003年1月号「百匹目の羊」


 未年にちなみ、新約聖書マタイによる福音書から羊の話を。
「人の子は、滅びるものを救うためにきたのである。
あなたがたはどう思うか。
ある人に百匹の羊があり、その中の一匹が迷い出たとすれば、
九十九匹を山に残しておいて、その迷い出ている羊を捜しに出かけないであろうか。
もしそれを見つけたなら、
よくお聞きなさい、迷わないでいる九十九匹のためよりも、
むしろその一匹のために喜ぶであろう。
そのように、これらの小さい者の一人が滅びることは、
天にいますあなたがたの父の御心ではない」
このように、天の神様は私共のような迷いの森にいる者をこそ、
なんとか救いたいと、日夜はらはらしながら、
涙を流して働いていらっしゃるのだ。

2008年12月15日月曜日

2001年1月号「二千一年・巳年」


 新世紀が始まった今、考えよう。
来に向かって、私はどう生きれば良いのだろう。
今、私が抱えている問題は何だろう?
何故それが問題なのか?
越えられないままにしている、心の弱さを見つけよう。
過去を振り返り、繰り返してきた失敗を、具体的に思い出そう。
そこに関わった人達の事も。
その時の自分の思いを、情動も含めて正直に思い出そう。
見たくない自分の心の闇を、しっかり見つめ、
自分の側の問題点を抽出するのだ。
れをテーマとして未来を生きよう。
過去の失敗は変えられないし、過去から逃げる事も出来ない。
でも私は過去に生きるのではなく、今を生きるのだ。
過去に捕らわれず、
今を生ききることによって、
過去を生き直すことが出来るはずだ。

2008年12月14日日曜日

2000年1月号「辰年・2000」


 21世紀を目前にした今世紀最期の年。
古い千年紀と新しい千年紀の狭間で、
私達はどのように生きるべきだろうか?
折りしも今年は辰年。鯉の滝登りと言うことわざがある。
めざましく立身出世することのたとえ。
俗に鯉は勢いよく滝を登ると言われるが、
中国の黄河上流にある竜門と言う急流を、泳ぎ登ることの出来た鯉は、
竜になると言う伝説がある。
いわゆる登竜門と言う言葉の所以である。
出世は兎に角この登竜門、
私たちに当てはめれば、社会復帰と言う事に、なるのではないか?
なんとささやかで謙虚なねがいか。
それでありながら切実な願い。
願いは未来への希望となる。
だから今年もまた、地道に登り続けようじゃないか。ね!

2008年12月13日土曜日

1998年1月号「1998年・寅年・元旦」


 春夏秋冬の一巡りの中で、新たな年を迎えた今、
新生のチャンス。
また一からやり直そうと言うには、
最もその気になれる時ではないでしょうか。
昨年一年を振り返って、最も心を動かした思いを、
喜びも悲しみも、よく噛みしめてみたいと思います。
嫌な事を切り捨てず、苦手な事から眼をそらさずに、
去年そのような思いから、自由になれなかった自分が、
では今年はどう生きたらよいだろうかと、
ノートに書いてみようと思います。
やれるだけの事はやりましょう。
やるだけやったら後は托身です。
今年もよろしく。

1995年11月号「1994年・明けましてワンダフル」


 この絵は1994年の年賀用に描いたものなのだが、
この当時はポレポレの会だよりに、正式に投稿していたわけではないので、
何月号に載るのか?などと余り考えずに、
手元にある絵を適当に送っていたのだ。
文もまだ書いてなかった。

2008年12月12日金曜日

1993年年賀状用


 これもまだ、ポレポレの会だよりには載せてない頃の切り絵だ。
自分の似顔絵ばかり描いているのは、よっぽどのナルシストだ。(笑)

1992年・年賀状用


 これは私が似顔絵描きになったばかりの頃、
迎えた年賀状用の切り絵だ。
嬉しさがよく現れていますね。
なにしろ、それまで何をやっても長続きしなかったものなあ!
やっと天職に出会った喜びに溢れている。
お陰さまでこの仕事だけは、辞めずに続けています。
これからもきっと、死ぬまで続けると思います。
他に何も出来ないから(笑)

2008年11月27日木曜日

12月の似顔絵出演予定

クリスマスの切り絵も出しつくしてしまいました。
12月に入ったら、年賀状用に描いた切り絵を、
また順次載せてゆきたいと思います。
私の12月の似顔絵現場のシフトが来ましたので、お知らせします。
2日 サンリオピューロランド
3日 ワールドポーターズ
4日 ワールドポーターズ
8日 ワールドポーターズ
9日 サンリオピューロランド
10日 ワールドポーターズ
13日 ららぽーと東京ベイ
14日 ワールドポーターズ
15日 ワールドポーターズ
16日 サンリオピューロランド
19日 サンリオピューロランド
20日 ららぽーと東京ベイ
21日 サンリオピューロランド
22日 サンリオピューロランド
24日 サンリオピューロランド
25日 サンリオピューロランド
26日 ワールドポーターズ
27日 ワールドポーターズ
29日 サンリオピューロランド
30日 ワールドポーターズ
*仲間の病欠その他の理由により、急に出演場所が変る事があります。悪しからず。

2008年11月19日水曜日

「Dear Abel Merry Xmas」


 かつて受けた恩恵に応えたくて、
CCWAの精神里親運動に、何人か少ない援助をさせて頂いた。
その内の一人、アベル君へ送ったクリスマスカードだ。
現在は自分の家族だけで精一杯で、援助は出来なくなった。
今後は、孤独に苦しむ方たちへの、似顔絵ボランティアと言うかたちで、
貢献したいと思っている。

2008年11月17日月曜日

2006年12月号「猪八戒のサンタさん」


 毎日まいにち、何かに追われるように時を重ね、
気がつけば「あっ」と言う間に、年末号を描いている。
振り返れば、年頭に立てた決意表明も何処へやら、
相も変らぬ自分の姿を見つけ、出るはため息ばかり。
毎年、「今年こそは」と願いをたてては挫けてしまう。
情けないやら悔しいやら。
それでも又。願いを新たに生きて行くしかないだろう。
大飯喰らいで怠け者の猪八戒は、
人生の師、三蔵法師から、
八つの生臭物を絶つようにと、その法名を頂いた。
私の場合、四歳の息子から
「お父さんの心の中に怒りんぼの鬼が居るから、怒っているんだ。
怒りたくなったら、心の中の鬼を怒ってよ」
と言われ、愕然とした。
怒りを止める。この一戒を肝に銘じよう。
*あれから2年経つが、まだまだ自分の心を制御出来ないでいる。
情けない。

2008年11月16日日曜日

2005年12月号「雪降る街」


 雪に降り込められた街はひっそりとして、
外からは住む人の気配も感じられない。
だが一つ一つの窓の中に、確かにそれぞれの人生がある筈だ。
独りでぼんやりとテレビを観ている人。
仲間と鍋を囲んでいる人。
年賀状を書いている人。
喧嘩している人。
家族を看病している人。
勉強している人。
大掃除をしている人。
恋人と囁きあっている人。
誰彼かまわず電話している人。
頭から布団を被って脅えている人。
家で仕事をしている人。
クリスマスツリーの飾り付けをしている人。
パソコンで旅行の予約をしている人。
失恋して泣いている人。
やけ酒を呑んで叫んでいる人。
約束した相手が来ずに苛立っている人。
底席ラーメンを作っている人。
一年を反省しているオウスケ。

2008年11月14日金曜日

2004年12月号「メリー・クリスマス」


 聖書に曰く。「求めよ、さらば与えられん」と。
それではお願いします。
神様、妻と子に光をお与え下さい。安らぎをお与え下さい。
家族が仲良く暮らせますように。
お互いに何時も本心で関わりあえるように。
不満や怒りに呑まれそうになったら、相手を責める前に、
自分を振り返り、思い遣りの気持ちで、譲り合えるようにして下さい。
順調なときには、怠惰に陥らないように。
試練に見舞われても、しっかり受け止め、
その意味を見つけられるように。
嫌なことがあっても引きずられないように。
嬉しい時にも有頂天にならないように。
見守ってください。
常にあなたへの道を真直ぐに歩み続けます。
それからお酒もください(笑)。
DVDください。
出張イベントください。
テレビ出演ください。

2003年12月号「クリスマスツリー」


 今年もクリスマスの季節がやってきた。
私の似顔絵現場のあるショッピングモールでは、
早くもクリスマスソングが流れ、
我々絵描きにはサンタさんの帽子が支給された。
これを書いているのは11月上旬である。
「ちょっと気が早いんじゃないの」と女房が言ったが、
会社が決めたことだからしょうがない。
それに被り物は結構嫌いじゃないのだ。
だが以前、某ホテルのイベントで、
トナカイの着ぐるみを着て似顔絵を描いたことがあるが、
そのときは参った。
使い古しで、あまりクリーニングなどしてないような、汚らしい着ぐるみで、
最初は面白がって、仲間と記念撮影などしていたが、
その内、身体中が痒くなってきて、地獄の苦しみだった。
メリー・クリスマス。

2008年11月10日月曜日

2008年12月号「A先生のクリスマス会」


 「神は、教会の中にいろいろな人をお立てになりました。
第一に使徒、
第二に預言者、
第三に教師、
次に奇跡を行う者、
その次に病気を癒す賜物を持つ者。
皆が使途であろうか。
皆が預言者であろうか。
皆が教師であろうか。
そこで、わたしはあなたがたに最高の道を教えます。
たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、
愛がなければ、
わたしは騒がしいドラ、
やかましいシンバル。
たとえ、預言する賜物を持ち、
あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、
愛がなければ、無に等しい。
全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、
誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、
愛が無ければ、わたしに何の益も無い」
(コリントの信徒への手紙)

1996年オウスケ切絵展のために「きよしこの夜」


 1996年4月、練馬区大泉にある、川津祐介さんの店
ビストロ・ララの巣で個展を開催した。
その時に飾った一枚。
この絵のモチーフは、小学校の学芸会のときの写真だ。
嬰児イエス様に扮するは、確か私だったような気がする。
友人の木下さんが買ってくれた。
川津さん、木下さん、ポレポレの会の皆さん、
来場者の皆さん有難うございました。

1994年「A先生のクラブハウスのクリスマス会」


 *この絵は、ポレポレの会だよりに、切り絵を投稿し始める前の作品だ。
A先生の注文で描いた。
似顔絵描きとして、スタートしたばかりの私への、
応援の意味で下さった、切り絵注文だったのだろう。
有難いことだ。
A先生とは今もお付き合い頂いている。
毎年、A先生のクリニックで行われるクリスマス会で、
ボランティアの似顔絵を描かせて頂いている。

2008年11月9日日曜日

2001年12月号「クリスマス会」


 こころの貧しい人達は、幸いである。
天国は彼らのものである。
悲しんでいる人達は、幸いである。
彼らは慰められるであろう。
柔和な人達は、幸いである。
彼らは地を受けつぐであろう。
義に飢えかわいている人達は、幸いである。
彼らは飽き足りるようになるであろう。
あわれみ深い人達は、幸いである。
彼らはあわれみを受けるであろう。
心の清い人達は、幸いである。
彼らは神を見るであろう。
平和をつくりだす人達は、幸いである。
彼らは神の子と呼ばれるであろう。
義のために迫害されてきた人達は、幸いである。
天国は彼らのものである。
(マタイのよる福音書、第5章より)

2008年11月7日金曜日

2000年12月号「メリークリスマス」


 クリスマスにちなみ、新約聖書のコリント人への第一の手紙から引用します。
「愛は寛容であり、愛は情け深い。
また、ねたむことをしない。
愛は高ぶらない。
誇らない。
不作法をしない。
自分の利益を求めない。
いらだたない。
恨みをいだかない。
不義を喜ばないで、真理を喜ぶ。
そして、すべてを忍び、
すべてを信じ、
すべてを望み、
すべてを耐える。
愛はいつまでも絶えることが無い」
こんな生き方を出来る人いるのか?
てな気持ちになるけど、心の底から愛情深くなったら、こうなるのかも。
依存心をなくして、不都合な事態の責任を、
どこまでも自分の心に引き寄せてゆくような、覚悟で生きれば、
我々も強くなれそうだ。
21世紀を目前にして、自分の来し方を考えよう。

2008年11月6日木曜日

1999年1月「年末年始」


 *これもクリスマスの絵なのに、正月号に載せてしまった。
ポレポレの会だよりに載せた文も、新年の挨拶のようなものなので、
あえて、ここに書き写すまでもあるまい。
この絵のモチーフもA先生のクリスマス会の様子だ。
絵の中に遊びが有るのに気がついただろうか?
ヒントは、ある物が、年が変る瞬間を表現している。

2008年11月5日水曜日

1997年12月号「クリスマスの集まり」


 クリスマスにちなみ、
アシジの聖フランシスコの平和を求める祈りによって、締めくくりたいと思います。
「私をあなたの平和の道具として、お使いください。
憎しみのあるところに愛を、
いさかいのあるところに許しを、
分裂のあるところに一致を、
疑惑のあるところに信仰を、
誤っているところに真理を、
絶望のあるところに希望を、
闇に光を、
悲しみのあるところに喜びを、もたらすものとしてください。
慰められるよりは慰める事を、
理解されるよりは理解することを、
愛されるよりは愛することを、私が求めますように。
私達は与えるから受け、
許すから許され、
自分を捨てて死に、永遠の命をいただくのですから」
それでは良いお年を・・・。
*この絵は、毎年私が、ボランティアで似顔絵を描かせてもらいに行っている、
A先生のクリニックのクリスマス会の模様を描いたものだ。
A先生は私の最初の主治医であり、恩人として、
今でもクリスマス会の日には、駆けつけてお手伝いをさせてもらっている。

2008年11月4日火曜日

1997年1月号「ポレポレの仲間とともに」


 Merry Christmas & A Happy New Year
*この切り絵は本来なら、12月号に載せるべき絵だと思うが、
締め切りの勘違いか?
何か訳があって、正月号に載せるはめになってしまった。
お恥ずかしい。
恥ずかしいついでに、当時の文が、今改めて読み直すと、
あまりに臭くて、とてもここに載せる勇気が出ません。
自ら没とします。悪しからず。

2008年11月2日日曜日

1995年12月号「クリスマスの少女」


 この絵はポレポレの会に、切り絵を投稿し始めた頃の作品。
まだ、絵だけ送って、文は書いてなかった。
この半年後に編集長から、文も書いてとふられ、
その後今の形になった。

2008年10月31日金曜日

1994年11月名刺用自画像


 ポレポレの会だよりに書ていた切り絵とエッセイを、
このブログに載せていたが、在庫が底をついてきた。
ただこの後は暫く載せる分がある。
12月号分と正月号分は、余りに季節感があり過ぎるので、載せないできた。
その分があるので、これから少しずつ、出してゆくつもりだ。
それも出してしまうと、切り絵の在庫も本当に無くなってしまうので、
本来のブログとして、日記を書いていこうか!?
どうしようか?
まだ考えていないのだ。
*あ、この絵は14年前になるか!?現在の会社で使う名刺用に描いた自画像だ。
今と全然違う、この頃はまだ自分を格好良く描こうとしていたな(笑)。

2008年10月23日木曜日

2001年「科学に魅せられた日本人」のブックカバー


 岩波ジュニア新書、吉原賢二著・「科学に魅せられた日本人」のカバーを描いた。
似顔絵は、手前から、小川正孝、野口英世、仁科芳雄だ。
一流の出版社からの仕事を手掛けて、気を良くし、
運が回ってきたかなと期待したが、担当の編集者さんが、定年退職されて、
それっきりだった。
嗚呼、家族のためにも、まめに営業活動をしなくては、いけないのだが、
苦手な事は後回しにしているうちに、無常の時は、どんどん過ぎてしまう。
恐ろしい事だ。
このブログにも、多少の期待を込めて、取り組んでいるが、
一通の依頼も来ないのだ。
私が変らなければ、この事態は打開できない。
神よ勇気を与えたまえ。

2008年10月21日火曜日

1978年「大関にかなう」のブックカバー


 これまた古い。
30年前に九芸出版の依頼で描いた、
相撲小説で有名な石井代蔵氏の著作
「大関にかなう」の装丁だ。
切り絵のモデルは若き日の魁傑と旭国だ。
切り絵は描けるけど、写植の事など何にも分らないままに、
引き受けてしまったものだ。
今ならもうちょっと、やりようもあっただろうにと、
若き日の蛮勇を、恥ずかしく思い出す。

2008年10月20日月曜日

「不思議の国のアリス」


 相当むかしの作品だ。30年くらい前かな?
なにしろサインが現在のものと違う。
今は「いはら」だけど、当時は「いばら」だった。
古い感じが伝わるように、カラーでスキャンして、
紙の黄ばみも写してみた。
とくとご覧下さい。

2008年10月16日木曜日

「従兄弟」


 15年くらい前に描いた、従兄弟の絵。
私はあまり立派な人生を歩いていませんが、
この人は立派な人間です。
駄目な私の個展など、まめに観に来てくれて、
この絵を注文してくれました。
今もお元気でいらっしゃる事と思います。

2008年10月10日金曜日

2008年11月号「圧倒的に強い私」


 私は現在57歳になります。
でありますのに、こんな阿呆らしい夢を、絵にしてしまいました。
子供の頃から強いスーパーヒーローに憧れたものです。
テレビアニメのスーパーマン、マイティー・マウス、ポパイ。
映画では座頭市、ブルース・リー、スチーブン・セガール。
小説のウルフガイ。等々。
日常の暮らしの中で、他人と接して、我慢しがたい出来事にあった時など、
心に湧き上がる想いがある。
私が圧倒的な強さをもって、気に入らない奴を、コテンパンにやっつけるのだ。
青年の頃は、武道に憧れました。
合気道を少し習ったけど、長続きしなかった。
今でも武道には未練があって、何かやりたいけど、
ガタがきた身体では何も出来ないだろう。
せめて絵の中に夢を果たしてみたのだ。

2008年10月3日金曜日

「S氏の肖像」


 友人の依頼で、身近な人を描いた。
個性的で絵に描きたくなるお顔だ。

2008年10月2日木曜日

「川の如く」


 一切のこだわりや捕らわれを、洗い流してくれる、
川の働きに、我が心をゆだね、
常に初心に戻りながら、生きて行きたいと思います。

2008年9月25日木曜日

1998年7月号「Mozart」


 六本木アークヒルズのカラヤン広場で、
月に一週間くらい似顔絵コーナーを開く場に恵まれている。
ある人の仕掛けたイベントで、いろんなジャンルのアーティストが、
自分の作った作品を、本人が販売すると言うのが、売りのクラフトマーケットだ。
ひょんなことで僕もこのイベントにまぜてもらっている。
売り上げが直接生活に掛かってくるので、
楽しくもあり、厳しくもありと言うところ。
なんとか売り上げを増やそうと、色々と考えた内のひとつが、
カラヤン広場にちなみ、サントリー・ホールへ、
コンサートを見に来たお客様をターゲットに、
作曲家の肖像を切り絵ハガキにして、売ってみようと言うもの。
まず試みにモーツァルトを描いてみた。頑張るぞー!
*このプランは、クラフト・マーケット自体が終了してしまったことで、立ち消えになった。

2008年9月22日月曜日

「N氏の肖像」


 以前、知人に頼まれて、そのまた知人の写真から描いた。
こういう作品は意外と楽に進められる。
何もないところから、イメージを膨らませるのに比べれば、
写真から描くという縛りが、逆に何も考える必要がないぶん楽なのだ。
いつも言うが、切り絵と言う画材は、このように楽に描いたものでさえ、
絵として見応えのあるものになってしまう。
わりと絵心のない人でも切り絵をやる人が多い所以である。

2008年9月20日土曜日

「陽のあたる場所」


 1952年度、アメリカ映画の名作。
モンゴメリィ・クリフト演じる主人公が、
貧しい境遇から上流社会(言わば陽のあたる場所)に、
のし上がるチャンスにあって、昔の恋人が邪魔になり、
事故を装って殺してしまう。
やがて事件は発覚し、逮捕され、死刑の判決を受けると言う物語。
モンゴメリィのいつもおどおどした暗い眼に、
何だか自分が重なって見えて、すごく恐かった。
一方、対照的に上流社会の象徴として登場する、
エリザベス・テイラーのなんと美しかったことか!
*ラベルの偉人伝と言うくくりは変かなとも思ったが、
有名人は偉人伝としてくくるながれになっているので、そうした。

2008年9月18日木曜日

「その男」



 この絵は前(5月5日)にこのブログに載せた「男と海」と言う絵の原型なのです。
ポレポレの会だよりの締め切りが迫ってきても、新作のイメージが湧かないとき、
苦し紛れに昔の作品を引っ張り出してきて、そのまま載せたり、
サイズが合わないときには、描きなおしたりする事がある。
大昔に描いたものと比べて、
当然、描き直した方が良くなっているかと言えば、
意外にそうでもない事がある。
これなどまさにその通りで、描き直したほうは無難にまとまっているが、
なんだか絵の雰囲気としては、原型のほうが良く観えるではないか?
如何でしょうか?

2008年9月17日水曜日

「星空のユンユン」


 病気で長い間、周りに迷惑をかけた。
そのことに何かお返しがしたかった。
CCWAの里親運動を知って、フィリピンの子供に、僅かな援助をさせてもらっていた。
最初の里子のユンユン君へ、誕生日のプレゼントに描いた絵だ。
何人かの子供に、10年くらい続けたが、
結婚して、子供が出来ると、もう経済的に余裕がなくなって、手を引かせて頂いた。
これからは、このような援助は出来ないかもしれないけど、
今後の人生は、似顔絵でボランティアをしたいと思っています。
ただし自分の家庭に余裕が出来るまで、今しばし出来ないんだ。
申し訳ないです。

2008年9月15日月曜日

「彼岸花と少女」


 むかーし、描いた作品。
かなり手抜きの絵だ。
切り絵と言う画材の特徴は、下絵がかなり下手でも、
切り絵にしてみると、なんとなく絵として様になって見えるという点がある。
これなぞその良い例だ。

2008年9月12日金曜日

2003年3月号「ジャンヌ・ダルク」


 15世紀初頭、フランス北東部のドンレミ村に、
普通の農家の娘として、ジャンヌは生まれた。
13歳の頃「オルレアンに行ってフランスを救いなさい」と言う神の啓示を受けた。
苦悩の末に立ち上がり、戦いに加わったジャンヌはイギリス軍を追い払った。
にもかかわらず味方の裏切りに合い、敵の兵に捕らえられた。
屈辱の宗教裁判によって、異端者の汚名を着せられたジャンヌは、
火炙りの刑に処せられて、わずか19歳でその生涯を閉じた。
ジャンヌの人生を思うとき、私は逡巡の多い自らの人生を恥ずかしく思います。
当時、農村に生まれた普通の家の少女が、
一国の軍隊を率いて戦うなど、いかに稀有なことだったか。
権威も、腕力も、学問もない少女がです。
一つの目的に向かって、まっすぐにひた向きに生きたとき、
人は信じられないような力を発揮する。
私も残りの人生を、悔いなく生きなければと思います。

2008年9月11日木曜日

1998年6月号「良寛さん」


 「師は、我が家に二晩どまりで泊まられた。
すると、自然に家族が仲良くなり、家の中が和気で満たされる。
師と一晩語り合えば、胸の内が清らかになるような気がするのだった。
師は、ことさらに経文を説教したり、
善行をするようにと勧めるわけでもない。
台所で火を炊くのを手伝ったり、座敷で座禅をされた。
話の内容も、詩歌のことでも道義の事でもなく、
のんびりとして、自然に振舞っているだけで、
道義の感覚を人に伝えてしまう方だった」
良寛を良く知る解良栄重と言う方が書き残した言葉です。
お上人とか禅師とかよりも、
良寛さんと、さんづけで呼ばれる事が、自然でぴったりしている。
そんな良寛さんが大好きです。

2008年9月4日木曜日

2008年9・10月号「昔の自画像」


 毎年、夏休み明けに、手抜きの作品を載せているんじゃなかろうか?
本当なら、今回は9・10月合併号なので、いつもよりじっくり取り組む時間があるわけで、
大作を期待されても当然なのだが。
ところが人間というものは、理屈どおりには生きられないのだ。
時間が余れば、あまったで、油断したまま締め切りをむかえてしまった。
嗚呼、我ながら情けない。
そこで、今までも何回か使った、裏技を出すことになりました。
すなわち、昔描いた作品を、引っ張り出してきたのだ。
この自画像は現在の私とは、まるで別人のようだ。
元気そうで、はち切れそうではないか。
15年ほど前の私か?タバコをやめた影響で、太ってしまった頃の私だ。
諸行無常ですね。

2008年9月3日水曜日

1997年6月号「成増アクトホール3」


 今年も私の所属する板橋きりえ会の、サークル展の季節がやってきた。
毎回のテーマである「板橋を切り絵で描く」に応えて、
またもやアクトホールに取り組んだ。
そこらへんの経緯は当会便り№69に書いたので、良かったら読んでください。
*このブログで言えば7月6日のところに書いてある。

2008年9月1日月曜日

1996年6月号「マーク・トウェイン」


 *これも当時まだ切り絵だけを投稿していた頃のもので、文はない。
マーク・トウェインは私が中学生の頃かな?正確に覚えてないが、
国語の教科書に「トム・ソーヤの冒険」が載っていて、好きになり、
続けて「ハックルベリィ・フィンの冒険」を読んで、夢中になった。
以降はトウェインの作品なら、手当たり次第に読んだ。
一般に余り知られていないようなものも読んだ。
「王子と乞食」がトウェインの作って知っていました?
他にもトム・ソーヤのシリーズで「トム・ソーヤの探偵」や
「トム・ソーヤの探検」なんて物もあるんですよ。
ユーモア作家として知られているトウェインだが、晩年は身内の不幸が続き、
すっかり厭世的になってしまうのだ。痛ましく辛い事だ。
天国で家族と再会して幸せになっていますように。
冥福をお祈りします。合掌。

2008年8月30日土曜日

「結婚式場にて」


 身内の結婚によせて描いた。

2008年8月25日月曜日

2007年7月号「弁天公園」


 市川市行徳駅近くの弁天公園を描いた。
地域の切り絵サークルに入会して一年になる。
公民館の文化祭に参加するに際して、
「出来たら行徳近辺の風景を描いて」との声を受けての作品だ。
話しは替わって。8月頃に引っ越す予定だ。
息子が来年から小学校に入学するが、現在の住まいでは、
通うことになる学校は、すごく遠いのだ。
あいだに交通量の激しい道路もあり、親の手を離れての登下校が心配だ。
それに今通ってjる保育園の友達とも、別れなければならなくなる。
色々考えて、越す事にした。
もう、移る先は決まっていて、実家のすぐ近くで、
保育園、希望する小学校ともわりと近くになる。
で、次回とその次くらいは、ものすごく手抜きの作品を乗せる事になりそうなので、
あらかじめご了承いただきたく、お願いします。
*この文は昨年書いたもの。現在はこちらに引っ越して、丁度一年になる。
息子は元気に近場の小学校に通っている。

2008年8月23日土曜日

2007年6月号「夢の情景」


 夢って、わけわからないよね。
15年前、私は未来に希望のない、暗闇の中に居た。
生活能力がなく、国の援助でやっと生きていたし、
病んだ心は、いっこうに回復の兆しを見せなかった。
自立しようとアルバイト情報誌をめくっても、出来そうな仕事は見つからなかった。
私はどうなるんだろう。もう駄目かもしれない。
起きている間は、常にこうした不安を抱えていた。
変な話だが、こうした日常の中で私は、前の晩に見た夢を思い出しては、
「こんな、訳のわからない世界が在るんだから、この世は未だ知らない事だらけ。人生は捨てたものじゃない」
と、理屈ではなくそう思ったのだ。
毎夜見る夢の不思議さを思うにつれ、
かえってそこに未来への希望を託したのだ。
私は夢に励まされて回復に向かい始めた。
*お陰さまで、現在は15年以上病院に通うこともなく、
健やかに暮らしています。
似顔絵と言う天職に出合ったことと、
祥伝社・黄金文庫の高橋佳子著・「人間の絆・三部作」に出会ったこと。
二つの出会いによって、どうにもならない暗闇から抜け出る事が出来たのだ。