2009年1月27日火曜日

稲穂の心


 実るほど頭を垂れる稲穂かな。
お米と言う字は、八十八と分解できる。
88もの手間隙かけて、収穫されるものだと言うわけだ。
つまり、何かが実を結ぶ陰には、天の恵み、人の助け等、
数え切れない恩恵があると言うことだろう。
1月25日、新年に当たり、
友人から「稲穂の心」と言う言葉を頂いた。
これからの一年を、感謝と報恩の気持ちで生きなさい。と言われたようだ。
年明けから、傲慢な心が出てしまった僕だけど、
今はあらゆる人に頭を下げて、
感謝の気持ちを胸いっぱいに持って、生きてゆきたいです。
携帯の待ち受け画面にしました。
常にこの絵を観て、
人様の支えと助けで生きていることを、思い出していたいと思います。

2009年1月23日金曜日

2月の似顔絵出演予定

1日(日)ららぽーと東京ベイ(以下、ららぽーと)
2日(月)サンリオピューロランド(以下、サンリオ)
3日(火)アクアシティ(以下、アクア)
4日(水)サンリオ
5日(木)ワールドポーターズ(以下、ワーポー)
7日(土)ららぽーと
10日(火)サンリオ
11日(水)サンリオ
13日(金)サンリオ
14日(土)ららぽーと
15日(日)サンリオ
16日(月)NCNミニコン
17日(火)NCNミニコン
18日(水)NCNミニコン
19日(木)NCNミニコン
20日(金)サンリオ
22日(日)ららぽーと
23日(月)ワーポー
24日(火)アクア
25日(水)サンリオ
27日(金)サンリオ
28日(土)ららぽーと

「川の心」


 僕が「風の心」の次に憧れるのは、
「川の心」だ。
川は常に流れ続け、一切の捕らわれやこだわりを洗い流してしまう。
執着の強い僕は、過去、現在、未来に、固執する者がなんといっぱいあることか。
常に流れ、洗い清めてくれる、川を眺めて、
あらゆる妄執から自由になりたいものだ。
仮に自分が固執するものが、自分の中では正しさであったとしても、
一度そこから離れ、本当にそうなのか見つめなおし、
第三者的な眼差しで、自他を包含する正しさへ深めてゆきたい。
そして更に、それすらも手離して、
すべての捕らわれから離れた、融通無碍の境地にまで至りたいのだ。

2009年1月21日水曜日

過ちては改むるに憚ること勿れ

昨日まで、年頭から書いている、似顔絵そっくり宣言の、
舌禍問題の詫び言ばかり書いていたが、
いくら詫びても、これからも読んで気分の悪くなる人が居たら、何にもならない。
「過ちては改むるに憚ること勿れ」
正月元旦のページまで戻って、全面的に書き直してしまった。
悪い噂を聞いて今日から読み始めた人は
「何のことやら?」
と首を傾げるかもしれない。いや、実に酷いことを書いていたのですよ。
誰かが悪のオウスケの証拠として、
プリントなどしていない事を祈るばかりです。

今後は襟を正して、
自分の主張のために、他人を引き合いに出して、傷付けるようなことがないように、
細心の注意をして書いてゆきます。

2009年1月20日火曜日

一年の計は元旦にあり。とは?

正月早々、ハイテンションになり、
自分に似合わず傲慢心も出て、多くの友人を驚かしてしまいましたが、
反省して、プロフィールも書き直しました。
今後は一年の計が元旦にありとはならないように、
日々、反省の生活を送りたく思います。

*友達を驚かした傲慢な書き込みは、一部、書き直しました。

2009年1月18日日曜日

友情について

今回、僕の中から、毒が出ちゃって、
皆様にご心配とご迷惑をおかけしました。
今回の僕の暴走に、何人かの友達がメールで叱責してくれたわけですが、
普段きわめて仲良くしている仲間が、気を遣いながらも、
親身に怒ってくれた事。
具体的にこの文は不味いとか、
ムッと来たとか、指摘してくれました。
僕はそれらの耳に痛いメールを、保護メールにして、
今後の自分への、暴走を止める警鐘にすることにしました。
文を読んで、
これだけ怒っているんだから、もう友達でいてくれなくなるのかと、
心配して訊ねたところ、
「今まで通りの友達だよ」と、皆が言ってくれて、
友情の有難さに、正直言って僕は泣きました。
怒ると叱るは違う。と言うけど、
叱って許してくれたこと、忘れません。
今後は、この後悔を共に生きてゆきます。
ごめんなさい。

また、暫くしたら、改めて、人を傷つけない
「似顔絵そっくり宣言」を展開してゆくつもりです。
どうぞ、よろしく。厳しい眼で、お見守りくださいませ。

2009年1月16日金曜日

閑話休題

 ここへ来て、何人かの友人からメールを頂きました。
総て内容は「似顔絵そっくり宣言」への、友としての忠告のようなものだった。
総じて僕が暴走しているのを、心配してくれているものばかりなので、
少し、考え直してみます。
一番気になったのは、僕が大切な友人達を傷付けているんじゃないか?
と言う点でした。
人の気持ちが分らない僕ですが、
やはり、分ろうとしなくてはと思いました。
ひょっとすると、僕はかつて競争に負けて、悔しい思いをしたことの、
単に恨みを晴らそうとしているだけじゃないかって・・・・。
そんなことで人に嫌な思いをさせて。
我ながら情けない話です。
沢山の友達にまで心配をかけてしまって。
ごめんなさい、申し訳ありませんでした。

そっくり似顔絵を広めてゆきたい気持ちは変りませんので、
これからも続けますが
内容を誰かに検閲してもらってから出すとかします。
とりあえず、身近なかみさんに読んでもらってからにします。
少し考えて見ます。
傷つけてしまった皆様、御免なさい。
コメントをくれた友情あつき友達の皆さん、有難う感謝します。

2009年1月14日水曜日

可愛いーっ!は賞賛の言葉ではない

出来た似顔絵をお客様にお見せした時の反応で
「可愛いーっ」とか
「ちょっと綺麗過ぎるみたい」とか
「すげーっ」とかは
似ていることの賞賛の言葉ではないので、要注意である。
僕など、孫に付き添っているお婆ちゃん等から
「何々ちゃんだって!」
などと声高に言われたことがしばしばあるが、
これなど完全に不満の意を表しているものとみてよいだろう。
凹んだものである。やはり、喜色満面に湛えて、
「そっくりーっ!」と言われたいものだ。

2009年1月10日土曜日

人口の数だけ顔が違う。

今、日本の人口は何人だろう?
それはさておき、1億人の人が居たら、その顔も1億通りあるはずだ。
総ての人間が、人口の数だけ、オンリーワンの
自分だけの顔を持っている。
それを全部とは行かないまでも、出来る限り描き分けてゆきたいと思っている。
僕が始めて似顔絵を描いてもらったのは、原田タカオさんと言う、絵描きさんで、
似顔絵の世界で、一番尊敬している似顔絵の神様のような人だった。
その頃の僕は自分の存在感が感じられない、辛い時期で、
心は常に孤独だった。
たまたま出会った原田さんは、僕をお宅に招いてくれて、
いきなり似顔絵を描いてくれたのだ。
原田さんは下書きもせずに、絵が相手に見えるように描いてゆく。
僕は目の前に自分の顔がどんどん描かれてゆくのを、ただ呆然と眺めていたのだ。
それを観ながら、自分の心がじわじわと癒されていたのが、今ならわかる。
存在の希薄に病んでいた心に、一服の清涼剤を与えられたようなものだった。
似顔絵には人を癒す力がある。そっくりならなおさらなのだ。

2009年1月9日金曜日

2009年2月号「月・山・雲海・吠える私」


 発刊2百号、おめでとうございます。
よく続けられましたね。これは大変な事ですよ。
なかなか出来る事ではありません。
そして有難うございます。
私のような我儘な人間を、切らずに使い続けてくださいました。
私がこの仕事のお陰様で、どれだけの作品を書き溜める事が出来たか!?
これまで描かせて頂いた作品達は、総て私の宝物です。
いくら感謝してもし尽くせません。
本当に有難うございます。
そして、これからも好き勝手に描き続ける事を、お許しください。
私はたまたま似顔絵という、天職に巡り合ったお陰様で、
病の苦しみから抜け出す事を得ましたが、
皆さんの仲間である気持ちは変りません。
私の人生の目的は似顔絵ボランティアです。
未だ機が来ませんが、お待ちください。

2009年1月6日火曜日

何故そっくりでなければならないか!?

 描いてもらった似顔絵がそっくりなら嬉しいと思うんですよ。
現代の日本人は総じて自分に自信がなくて、
自分の存在感の希薄さに、不安を感じているように見えるんです。
アイデンティティの喪失の時代なんですよ。

よく電車の中で、ずーっとコンパクトを眺めている女性を、見かけることがあるでしょう。
あれなどは、別に化粧を直しているだけの事ではないんですよ。
本人はそのつもりかも知れないけど、
実はそうやって、無意識に自分の存在を確かめているんです。

似顔絵は、そうした存在感希薄の危機感に、
ある種の癒しを与えているんです。
画家が一所懸命にモデルと向き合って
「こう見えましたよ」
「これがあなたですよ」と提示するわけです。
それは嬉しいことでしょう!?
「あ!これは俺だ」
「確かに私だ!」
と喜ぶ顔がそれを物語っています。

人間同士、一対一で、相対する時間そのものが、減っている気がします。
前にウェスタン村で、年輩の画家が、
お客さんの人生相談をしているような、光景を見たことがあるが、
あれなど人と人の絆を感じて、実に微笑ましいものだと思いました。
そのふれあい自体が人を癒すのだと思います。
それがそっくりなら、なおさらよいと思います。

2009年1月1日木曜日

書初め


 息子、ふうすけは現在小学校1年生だ。
冬休みの宿題に書初めがあった。
親子3人で取り組んでみた。
ふうすけの作品は、学校のお手本を真似して書くものだ。
1年生にしてはとても良く書けている。
妻の書には、苦しんできた鬱病を克服してゆきたい気持ちがこもっている
僕の風の心には、プロとして、売れる似顔絵を描いてゆきたいとの想いが込められている。
今まで、そっくりに心を込めて描いてきたのに、
何故、僕の絵は売れないのか?それが疑問だった。
人の心が分らない自分の心を、もっと見直す時が来たと思うべきだろう。
努力が嫌いな自分を、叱咤激励して、
売れる絵描きさんの良いところを吸収して、
そっくりで喜ばれる絵を日本中に普及したい。
自分の心に風を起こして爽やかに生きてゆこうと思う。
今年は風の心で生きてゆきます。

似顔絵そっくり宣言1


 新年明けましておめでとうございます。
去年までかつて描いた切り絵を順次、出していたが、
ストックも底をついてしまった。
たったこれだけの仕事しかしてこなかったんだなあと、ショックだった。
もう、これからは載せる切り絵は、新作ばかりだ。
それも一月に一枚がやっとだろう。
で、これからは、私の似顔絵に寄せる思いを描いてゆこうと思う。
僕ももう、2月で58歳になる。
残り時間もたいして無いだろう・
これからは、ちょこっと本音を出して生きたいと思う。
まあ、付き合ってください。
そっくり似顔絵は人を癒す。と言うのが、その趣旨だ。
どうぞよろしく。