2010年10月6日水曜日

ポレポレの会だより投稿原稿「仰向けヒカちゃん」


 弱肉強食の世界に合っては、
野生の動物は人前で仰向けに寝転ぶ、
などと言うことは、あってはならないことであろう。
皮膚が薄く、骨で覆われていないお腹は、
常に敵からの攻撃にそなえて、
ガードしておかなければならぬ筈。
しかるに我が家のヒカちゃんの、この姿はどうだ!
完全に油断しきっているではないか。
それでいいのか!
お前の野生は何処へ行ってしまったのだ。
しかし見方を変えれば、我々家族を信頼しきっている、
とも言えるわけだ。
捨て子として我が家にやってきて、
完全に家猫として育ったヒカちゃんだから、
野生を失うなと言うのが無理なのかも。
それどころか自分では我々の家族のつもりかも知れぬ。
そう!ヒカちゃんは家族に違いないのだ。

2010年8月22日日曜日

ポレポレの会だより投稿原稿「友人のお父様2」



友人のお父様へ誕生日プレゼントとして、切り絵の肖像画を描かせて頂いた。
写真が趣味だと言うので、カメラを持った絵にした。
背景には田園風景を持ってきた。出来上がりには満足している。
ただ顔だけ描いた絵では、こうはいかないだろうと思う。
(笑)自画自賛してしまった。
自分では相当いい線行っていると思っているのだが、
一向に売れぬのは何故なのか?
営業に行かないからだろう。
光陰矢のごとし。ぐずぐずしていたら、僕も来年は還暦だ。
余り先がないのだ。自分に鞭打って出掛けねばならぬ。
頑張れガンバレ、オウスケ頑張れ。
後が無いぞ。なりふり構わず、行ってみよう!  オウスケ。

2010年8月3日火曜日

ポレポレの会だより投稿原稿 「友人のお父様・試作」


 切り絵と離れた文になる。
先日ポレポレの会の総会と、
引き続き催されるフェスティバルに参加させていただいた。
パフォーマンスとして、似顔絵ボランティアをさせてもらう為だ。
当日は朝から緊張して、何遍もトイレに通った。
日頃忘れていた入院生活の記憶が蘇るのだ。
十何年ぶりかに三郷駅に降り立った時は、懐かしさが胸に溢れた。
送迎バスにも、行きすぎる風景にも、思い出がいっぱいある。
会場では顔なじみの運営委員の方が、笑顔で迎えてくださった。
僕は似顔絵用の席に居ながら、
会の始めから終わりまで、会場に流れる、
温かく優しい雰囲気に癒されていた。
僕は似顔絵ボランティア等といい気になっていたが、
賞賛も求めず、縁の下の力持ちをされる皆さんの姿に、
頭が下がった。  オ。

2010年7月10日土曜日

ポレポレの会だより投稿原稿「チャップリン」


 今回は会社主催の似顔絵展示会のために、
チャップリンを描いた。
多数の出品者の中で引けをとらない作品を描かねばならぬ。
それなら僕はやはり切り絵だろう。
それも切り絵の白黒が映える、モノクロ映画のスターを描こうと思った。
チャップリンを選んだのには訳がある。
幼い頃から苦労して喜劇王になった彼は、
常に社会の底辺に居る、弱い人達の側に立って映画を作り続けた。
彼の笑いは、その様な人達を、
勇気づけ、励まそうとしていた。
彼のとぼけた演技や表情の奥に、底抜けの優しさを感じるのだ。
チャップリンの映画を観ると、
老いて涙腺の脆くなった僕は、すぐに泣いてしまうのだ。
この絵はチャップリンへの憧れを持って描いたのだ。

2010年6月10日木曜日

ポレポレの会だより投稿原稿「初節句」



息子の初節句の写真から描いてみた。
名前は変えてある。

2010年5月8日土曜日

ポレポレの会だより投稿原稿 「中山法華経寺 」


 我が家から割りと近く、東京メトロとJRを乗り継いで、
駅4つ目の所に、日蓮宗の大本山・中山法華経寺がある。
4月下旬の日曜日、家族3人で、
物見遊山の寺詣でと洒落込んだ。
別に法華信仰をしている訳ではないが、
小3の息子に、由緒ある古刹の趣を経験させたかった。
下総中山駅から、寺に向かって真直ぐの参道は、
両側の商店が、ずっと昔から時が止まったみたいに、
のんびりした雰囲気で、まるでやる気が感じられないのだ。
山門をくぐると、更に日常から離れた空気が流れていて、
家から近くのお寺に来た気がしなかった。
遠くの観光地に旅行をしているような気分だ。
折角だからとその気になって、
茶屋で甘酒などを頼んで寛いだ。
ストレス解消の良い1日でした。  オ。

2010年4月10日土曜日

骨董喫茶のマスター


 JR国立駅近くにある喫茶店の写真を、
切り絵の題材になると思って 撮ったのは、
もう15年ほど前の事 だ。
今回やっと、取り掛かることができた。
今までに何回かやろうと思っては、
どこから手をつけたら良い ものか、考えあぐねて、
結局今まで 来てしまった。今回あらためて写真 を見て
「いけそうだ!」と言う気が したのだ。
何事にも、相応しい時と言うものがあるようだ。
そしてその 時の来るまでの間は、
何もしていな い様で、そうではない。
自分の技術 が育つまで、
じっくりと熟成の時を 送っているのだ。
例えば桜の花の満 開の時に、
人はその見事な花の色を愛で、感嘆の声をあげるが、
その開花の前に極寒の季節、
枯れ木のよう な姿で、春を待っていた、
桜の時間があることを忘れてはならない。 オ。