2014年4月24日木曜日

金子みすゞ

 

 この人の詩を初めて知ったのは、
 NHKの「にほんごであそぼ」と言う番組の中で、
野村萬斎がアレンジした「大漁」を聞いてからだ。
同じ番組で他にもいくつか紹介された。
その後あの東日本大震災があり、
 CMの差し替えで「こだまでしょうか」が毎日流れたので、
覚えている方もあるかと思う。
あの折に何故、金子みすゞの詩が繰り返し流されたのか?
公共広告機構の意図はわからないが、
この人の詩の寂しいような懐かしいような、
心の琴線に触れてくる感じは、
確かにあの状況にマッチしていたように思えてくる。
この人の人生を辿ると、可哀そうでならない。
素晴らしい才能を期待されながら、不幸な結婚によって、
26歳でその生涯を閉じることになってしまった。
この絵は彼女への鎮魂歌のつもりで描いた。オウスケ。

2014年3月23日日曜日

東海林さだお

 

小学生時代、白土三平や水木しげるの漫画に夢中になり、
学校の作文に「将来は漫画家になる」と書いた。
その夢は父がシナリオ作家だったこともあってか、
親の反対にも会わず、順調に育ってゆくかにみえた。
がしかし夢は見続けたが、実際の努力はしなかった。
夢を叶えたかったら、
こつこつと具体的な努力を地道に続けなければならない。
結局は夢を食べるバクのようになって、
貴重な人生の時間を虚しく使ってしまった。
幸福にも似顔絵描きと言う仕事に就くことが出来て、
今は何とか暮せているが、
これが無ければ今頃何をしていることやら。
現場への行き帰りの電車で、
東海林さだおの漫画に笑いを堪えながら、
今更ながら一作でもいいから漫画を描き上げたかったと、
臍を噛むのだ。 オウスケ。

2014年2月22日土曜日

小林カツ代

 


 今年1月23日、料理研究家の小林カツ代さんが亡くなった。
享年76歳。
彼女とは嘗て廃校になった東京デザインカレッジ漫画科で同級生でした。
当時から年上であろうと思っていましたが、
13歳も上だとは知りませんでした。
一緒に学んだ漫画学校は入学から半年で倒産してしまい、
その後クラス有志で漫画研究所を立ち上げるまでの顛末は、
彼女の著作「青春どないしよう!?」に詳しく描かれています。
登場人物として僕も出てます。
その後、彼女はどんどんマスコミに登場しだして、
アッと言う間に有名タレントになってしまった。
こちらは中々自分の生きる道が見つからず、
お互いを比べて、つい卑屈になりがちでした。
しかし彼女は最後まで変わらぬ友情でつきあってくれたのです。
ご冥福をお祈りします。合掌。   オウスケ。

2014年1月25日土曜日

城山三郎

 


  日本の経済小説の開拓者。2007年3月に79歳で亡くなる。
実はこの人の小説は読んだことがない。
なのにファンなのだ。専らエッセイから入った。
古本屋で通勤時に読む文庫本を当てもなく探していた時に、
「打たれ強く生きる」を見つけた。
打たれ弱い僕としては、何か人生の秘訣を教えてもらえそうな気がして、
迷わずに購入した。面白かったので続けて何冊か読んだ。
中でも「そうか、もう君はいないのか」と言う、
癌で先立たれた奥様のことを書いた本には泣かされた。
妻亡き後の生活の中で、ふと思わず今は亡き奥様に話しかけてしまう。
そして本の題名の様な気持ちになるのだ。
恋人時代のことや、結婚生活での思い出が、
奥様への愛情こまやかに描かれている。
涙なしには読めない一冊であった。    オ。 

2013年12月24日火曜日

山藤章二

 

 週刊朝日の似顔絵塾と言う投稿コーナーが出来て,
早や32年になる。塾長は山藤章二先生。
僕がここに投稿を始めたのは2010年の2月23日だから、
もうすぐ4年目に突入するが未だまだ新米である。
似顔絵の仕事を始めた頃は、周りにライバルも居らず、
のんびり気楽な稼業と悠々自適を決め込んでいたが、
テレビ番組で似顔絵選手権などが現れてから、
新人画家さんがどんどん出てきて、
若い彼らが業界に新風を吹き込んだ!
売り上げ重視の商売上手なやり方に、昔ながらの絵描きは、
太平楽の夢から目覚めざるを得なかった。
似せることには自信があったが、売り上げはガタ落ちになった。
せめて何かタイトルをと、投稿を始めたのだ。
お蔭さまで入選常連画家になったが、
売上が上がったかは判らない(笑)。オ