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2008年5月28日水曜日

1997年4月号「薬師如来」


 薬局を経営する友人からの依頼で、薬師如来像を描いた。
モデルとして、奈良県薬師寺の、薬師三尊像を参考にさせて頂いた。
国宝である。薬師如来は医王如来とも言い、
人間の心身の病を救ってくださる医薬兼備の仏様である。
男性的なお顔で、静かに微笑みながら,私たちをじっと見守っていて下さる様子には、
思わず「頼りにしてます」って言いたくなってしまう。
昔、病に苦しむ私達仲間の傍らで、共に苦しみ、涙し、
何とか手助けがしたいと発心した、医学生が居た。
救われた者は、一生懸命に尽くすその人を忘れないように、
「仏さま」として、感謝の気持ちを込めて、
このような像を刻んだのではなかろうか。合掌。

2008年3月6日木曜日

2001年7月号「千体観音・光転の連鎖」


 百八態羅漢に続き自分なりの仏画を描いた。
京都・三十三間堂の千手観音からイメージを膨らませた。
観音様のことを施無畏者と言うのだそうだ。
恐れのない気持ちを施す者の意味。
私達のような、忍土でもがき苦しんでいる者を、哀れと思い、
その苦しんでいる最後の一人まで救い取ることが出来ないうちは、
自らもあえて如来とならない。と言う本願を立てた仏様なのだ。
そのような志高き一人の人間の、愛に満ちた行いが、
周りの人々を感化し、次々に連鎖して広がってゆく様を、
曼荼羅の様式を借りて描きたかった。
心の上に刃を置くと書くこの忍土において、
人の苦しみ我が苦しみ、人の喜び我が喜び。
と感ずることが出来たらと思います。私の理想です。

2008年2月23日土曜日

2001年6月号「百八態羅漢図」


 東京きりえ美術展に出品した作品。
原画はすごく大きくてA全版一杯ある。制作に一ヶ月は掛かった。
毎朝仕事に行く前に30分から1時間取り組んだ。
完成したころには体中が肩凝りのように痛くなった。
内容は川越の五百羅漢をモチーフにして、
人間の百八つの煩悩を描きたいと思った。
羅漢と言うのは悟りを求めて仏道を歩む修行者のこと。
ここでは未だ悟りに至らずに苦しみの渦中にある姿を描きたかった。
自分を卑下して落ち込んでいる人。
有頂天で舞い上がっている人。
被害者意識の塊でいつも怒りに捕らわれている人。
事態を受け止めず眠りを貪っている人。
どの羅漢さんも苦しんでいる。
現在苦しんでいる友の一人ひとりの顔を思いながら描かせてもらった。
*この絵の原画は、浅草郵便局斜向かいにある、
古書店「きずな書房」の店内に飾ってあります。
本物がご覧になりたい方は,お出掛け下さいませ。

2008年2月20日水曜日

2007年4月号「顕仏」


自我の殻を破って、身の内から仏性が現れる瞬間を描いてみました。
私たち人間は智恵昏く、自分のことさへ、ほとんど分っていません。
同じ過ちを飽きもせず、延々と繰り返し、その自覚もありません。
一瞬後に自分がどんな行動に駆り立てられるかも、
まったく予測できないと言うのが現状です。
自分の感情の動きを冷静に客観的に観察できている人が、
一体世界中に何人いるでしょうか?
様々な出来事の狭間で、喜んだり、怒ったり、落ち込んだり、
鈍感になって、気がつくべきことを見逃していたり。
自分が喜怒哀楽のどれかの感情に、
すっかり飲み込まれていることにも、無自覚です。
心を透明に澄ませて、自分の本心を聞きたい。
本当の自分に会いたい。

2008年2月14日木曜日

2005年2月号「宝珠」


 お寺のてっぺんに玉葱みたいな形の物が
載っているのを見たことがありませんか。
あの形を宝珠と言って、一説にあれは宇宙の形を表しているそうです。
それでは宇宙を外側から観た人がいるのか?と
妙な気持ちにさせられますが。
思春期、蒲団に入ってから、時間と空間の永遠ということを考え出すと
止まらなくなって、なかなか寝付けず、随分悩んだ時期があった。
だがそうした事も、年齢を重ねるうちに、
現実の問題に次々と応えている内に
忘れたように考えなくなってしまった。
答えを見つけた訳ではないので、未だに疑問を抱えたままだが、
一生考えても分らないような事を悩むより、
今すべき事を一所懸命にやるしかないと、
割り切って生きております。