2008年3月4日火曜日

2005年5月号「近未来都市アクア」


 お台場のアクアシティを夜景で描いた。
背後には今話題のフジテレビが望まれている。
あの辺りには近年、どかどか新しいビルが建ち、
その意匠は、昔観た未来物映画の一場面のようだ。
以前、東京ビックサイトに行った時は、夜だったせいか、
景観の異様さにすごく驚いた。
フジテレビの建物の、真ん中に何のためか球体を抱えた姿も、
夜中にライトアップされた様子は、怪しく美しく、
その先を見上げれば、UFOでも飛んでいそうな気がしてくるのだ。
手前に謎めいた美女を描こうと思っていたが、
描いてみると、平凡でちっとも面白くないのだ。
猫の仮面か,猫人間か、ここまでやって納得がゆきました。
少年の頃の気持ちに戻って、近未来としました。

2008年3月3日月曜日

2004年11月号「私は猫になりたい」


 妻との雑談中、戯れに「もし生まれ変わるとしたら、
何になりたいか」などと言う話になった。
妻はは飼い猫のひかるをちらっと見て、「猫がいい」と言った。
その訳は一日中寝ていても誰にも怒られない。
働かなくても餌をもらえる。トイレの掃除もしてもらえる。
気が向いた時だけ人間に遊んでもらい、毛づくろいをしてもらう。
何でもマイペースで人の顔を伺うこともない。
話している内に自分のことになり、
「だって生きているのがこんなに辛いんだもの。
朝起きるのが辛いんだもの。安心して寝ていられないし、
職場では同僚に苛められるし、人が恐いし、
皆がわたしを責めるし、私はどうしたら良いか分らないんだもの」
私は何と言えば良いのか分らなくなった。

2008年3月2日日曜日

2008年4月号「池波正太郎」


 私が未だ鬱病の闇の中でもがいていた頃、
友人のK君に「どうすればこの苦しみから自由になれるのか分らない。
何か拠り所になるようなものが欲しい。
何かあったら教えてくれ」と聞いてみた。
彼は池波正太郎を薦めてくれて、その訳を「思い遣りかな」と言った。
池波の描く時代劇の世界、人と人の間には暖かい人情が通っていた。
そこのところが私に何かを与えてくれるかもと。
早速、何冊か池波作品を読んでみた。
「剣客商売」が特に気に入って、シリーズを全部読んでしまった。
そして一年ほどたった頃、電車の中で読んでいた時、
はからずも涙が溢れてきた。発病以来この方、涙なぞ涸れていたのに。
小説に込められた他人を思い遣る気持ちに、
ゆっくりと癒されていたのだ。回復の始まりだ。

2008年2月29日金曜日

2007年3月号「卒業写真」


 この絵は中学の卒業式当日に、なんとなく親しいもの同志が集まって、
撮ったスナップをもとに描いた。私は後列左端の坊主頭だ。
40年も昔だ。中学時代はクラスの悪がきに3年間いじめられ通しで、
すっかり暗い性格になってしまった。こうした写真があるからには、
友達もいたし、いじめの合間に楽しいこともあったと思う。
昨今ほど人の心が陰湿ではなかったし、
当時は自殺や登校拒否など、そういう発想がなかった。
幸いと言うべきか。
ただ毎日家のトイレで「逃げたい、逃げたい」と、
呪文のように呟いていたのを思い出す。
後でわかった事だが、家族は私がいじめにあっていた事を、
誰も知らなかったらしい。「ふーん」である。
もし生まれ変わりがあるなら、今度は逃げずに闘いたいとおもう。

2008年2月27日水曜日

2005年11月号「3年後」


 アパート住まいの私にとって、
この絵を3年後とは無謀な題名と言われても仕方あるまい。
それでもあえて自分に発破をかけるつもりで3年後としたのだ。
無常のときは一刻の猶予無く流れている。
うかうかしてはおられんのだ。
私は現在53歳だが、近頃時間の流れがすごく速くなったように感じる。
1年など「あっ」と言う間に過ぎてしまう。
漠然と生きていれば10年だって「あっ」と言う間だろう。
そしてやがてやって来る臨終に際して
「私の人生って一体何だったのだろう」と悔やんでも後の祭りなのだ。
そんなの嫌だから、目標を定めて、具体的に生きてゆくのだ。
成就するかどうかより、そのように生きたかどうかが大切なのだ。
この人生、出来る限り大切に生きたい。
*この文章を書いた時点では53歳だが今現在は57歳です。お間違えなく。

2008年2月24日日曜日

1997年7月号「最澄」


 上野の森美術館にて開催された「比叡山・高野山名宝展に行った。
平安時代、日本の仏教界にとっての二大源流となった比叡山と高野山。
比叡山を興した最澄。
高野山を興した空海。
まったく違った個性の二人の青年が,唐に渡って学び、
持ち帰った仏教の教義は、それぞれの個性に応じるように、
違った仏教として平安時代の日本に花開き、今日に至っている。
だから仏教美術もそれぞれの個性をほうふつとさせて面白い。
入場してすぐに目についた空海像と最澄像。
私はそこにある動的な空海と、静的な最澄のたたずまいに、
極めて象徴的な対比を発見した。
そして最澄に憧れのような好感を持ってしまったのだ。

2008年2月23日土曜日

2001年6月号「百八態羅漢図」


 東京きりえ美術展に出品した作品。
原画はすごく大きくてA全版一杯ある。制作に一ヶ月は掛かった。
毎朝仕事に行く前に30分から1時間取り組んだ。
完成したころには体中が肩凝りのように痛くなった。
内容は川越の五百羅漢をモチーフにして、
人間の百八つの煩悩を描きたいと思った。
羅漢と言うのは悟りを求めて仏道を歩む修行者のこと。
ここでは未だ悟りに至らずに苦しみの渦中にある姿を描きたかった。
自分を卑下して落ち込んでいる人。
有頂天で舞い上がっている人。
被害者意識の塊でいつも怒りに捕らわれている人。
事態を受け止めず眠りを貪っている人。
どの羅漢さんも苦しんでいる。
現在苦しんでいる友の一人ひとりの顔を思いながら描かせてもらった。
*この絵の原画は、浅草郵便局斜向かいにある、
古書店「きずな書房」の店内に飾ってあります。
本物がご覧になりたい方は,お出掛け下さいませ。