2008年2月29日金曜日

2007年3月号「卒業写真」


 この絵は中学の卒業式当日に、なんとなく親しいもの同志が集まって、
撮ったスナップをもとに描いた。私は後列左端の坊主頭だ。
40年も昔だ。中学時代はクラスの悪がきに3年間いじめられ通しで、
すっかり暗い性格になってしまった。こうした写真があるからには、
友達もいたし、いじめの合間に楽しいこともあったと思う。
昨今ほど人の心が陰湿ではなかったし、
当時は自殺や登校拒否など、そういう発想がなかった。
幸いと言うべきか。
ただ毎日家のトイレで「逃げたい、逃げたい」と、
呪文のように呟いていたのを思い出す。
後でわかった事だが、家族は私がいじめにあっていた事を、
誰も知らなかったらしい。「ふーん」である。
もし生まれ変わりがあるなら、今度は逃げずに闘いたいとおもう。

2008年2月27日水曜日

2005年11月号「3年後」


 アパート住まいの私にとって、
この絵を3年後とは無謀な題名と言われても仕方あるまい。
それでもあえて自分に発破をかけるつもりで3年後としたのだ。
無常のときは一刻の猶予無く流れている。
うかうかしてはおられんのだ。
私は現在53歳だが、近頃時間の流れがすごく速くなったように感じる。
1年など「あっ」と言う間に過ぎてしまう。
漠然と生きていれば10年だって「あっ」と言う間だろう。
そしてやがてやって来る臨終に際して
「私の人生って一体何だったのだろう」と悔やんでも後の祭りなのだ。
そんなの嫌だから、目標を定めて、具体的に生きてゆくのだ。
成就するかどうかより、そのように生きたかどうかが大切なのだ。
この人生、出来る限り大切に生きたい。
*この文章を書いた時点では53歳だが今現在は57歳です。お間違えなく。

2008年2月24日日曜日

1997年7月号「最澄」


 上野の森美術館にて開催された「比叡山・高野山名宝展に行った。
平安時代、日本の仏教界にとっての二大源流となった比叡山と高野山。
比叡山を興した最澄。
高野山を興した空海。
まったく違った個性の二人の青年が,唐に渡って学び、
持ち帰った仏教の教義は、それぞれの個性に応じるように、
違った仏教として平安時代の日本に花開き、今日に至っている。
だから仏教美術もそれぞれの個性をほうふつとさせて面白い。
入場してすぐに目についた空海像と最澄像。
私はそこにある動的な空海と、静的な最澄のたたずまいに、
極めて象徴的な対比を発見した。
そして最澄に憧れのような好感を持ってしまったのだ。

2008年2月23日土曜日

2001年6月号「百八態羅漢図」


 東京きりえ美術展に出品した作品。
原画はすごく大きくてA全版一杯ある。制作に一ヶ月は掛かった。
毎朝仕事に行く前に30分から1時間取り組んだ。
完成したころには体中が肩凝りのように痛くなった。
内容は川越の五百羅漢をモチーフにして、
人間の百八つの煩悩を描きたいと思った。
羅漢と言うのは悟りを求めて仏道を歩む修行者のこと。
ここでは未だ悟りに至らずに苦しみの渦中にある姿を描きたかった。
自分を卑下して落ち込んでいる人。
有頂天で舞い上がっている人。
被害者意識の塊でいつも怒りに捕らわれている人。
事態を受け止めず眠りを貪っている人。
どの羅漢さんも苦しんでいる。
現在苦しんでいる友の一人ひとりの顔を思いながら描かせてもらった。
*この絵の原画は、浅草郵便局斜向かいにある、
古書店「きずな書房」の店内に飾ってあります。
本物がご覧になりたい方は,お出掛け下さいませ。

2008年2月20日水曜日

2007年4月号「顕仏」


自我の殻を破って、身の内から仏性が現れる瞬間を描いてみました。
私たち人間は智恵昏く、自分のことさへ、ほとんど分っていません。
同じ過ちを飽きもせず、延々と繰り返し、その自覚もありません。
一瞬後に自分がどんな行動に駆り立てられるかも、
まったく予測できないと言うのが現状です。
自分の感情の動きを冷静に客観的に観察できている人が、
一体世界中に何人いるでしょうか?
様々な出来事の狭間で、喜んだり、怒ったり、落ち込んだり、
鈍感になって、気がつくべきことを見逃していたり。
自分が喜怒哀楽のどれかの感情に、
すっかり飲み込まれていることにも、無自覚です。
心を透明に澄ませて、自分の本心を聞きたい。
本当の自分に会いたい。

2008年2月19日火曜日

2000年4月号「我が家のひかちゃん」


 現在わが家で生後六ヶ月の子猫を飼っている.
茶トラの雄で名前はひかるである。
20年来の親友の名前を戯れにつけてみた。
去年の秋、仕事から帰ると玄関にダンボール箱が置いてあり、
中にタオルにくるまれて、手のひらに乗りそうな小さな子猫が寝ていた。
妻に聞くと、迷子のこの子を拾って困っていた子供から預かったと言う。
どうしたものか、二人で相談した結果、飼うことにした。
最初の晩は、弱々しくひたすら寝ている様子に、
このまま死んでしまうのじゃないかと、随分心配した。
猫を飼っている友人に聞いたりしながら、餌やトイレを誂えた。
あれから半年、迷いながらの子育てだったけど、
よく育ってくれた。今では我が家の大切な一員なのだ。

2008年2月17日日曜日

2002年12月号「ふくすけ」


 縁起物の切り絵として、福助を描いた。
呉服屋の店先などでよく見かけるこの福助人形。
御利益は招き猫に似て商売繁盛の神様だ。
江戸時代末期に京都の伏見で売り出されたのが始まりだとか。
ところでこの福助人形には実在のモデルがあるって知ってましたか?
江戸後期、滋賀県木曾街道沿いに在った、
老舗のもぐさ屋に働いていた誠実で実直な番頭さん、
その名も叶福助と言う。
この方の人柄が愛され、お店は大いに繁盛したという。
福神として昇格してから色々と有難い話も出てきて、
この方は吉祥天女の婿で、
摩加羅大黒天の化身であるとされている。
それは兎に角、その人が居るだけで場の空気が和み、
暖かい雰囲気に包まれてしまう。それこそあやかりたいところだ。

2008年2月16日土曜日

2004年5月号「異界で温泉気分」


 鉛筆が走るにまかせて下書きを描いた。
最初から何を描いてやろうという意図はなかった。
その内、こんな絵が出てきた。
後は興に乗ってイメージを整えていって、この切り絵になった。
「どこか遠くでゆっくり温泉にでも浸かりたいなあ」
と言う日頃の願望が、このような形で出てきたらしい。
テレビで好んで観るのは専ら旅番組だ。
余り売れなくなった俳優やタレントが、旅先で珍しいものを食べ、
絞りたての地酒を呑んだりするのを観ながら、
妻に「この人も仕事があって良かったなあ」等と、
失礼なことをほざいているのだ。
仕事柄、泊まりの出張イベントもあるが、
現地では会場に直行で、旅行気分にはなれない。
せめて移動中の缶ビールに精一杯の旅情を思うのだ。

2008年2月15日金曜日

2001年10月号「ゴッホ・レクイエム」


 フィンセント・ファン・ゴッホ、世界中の多くの人に愛され、
親しまれてきたゴッホの絵画には、
彼の辿った人生の苦悩と葛藤、そして狂気が、
凝縮されたかのように描かれていて、それゆえの人気とも言えるのだろう。
ゴッホの出生当時、彼の母親は、
夭逝したすぐ上の兄の面影を彼に重ねて育てた。
こうしたことが成長期の彼の人格形成に与えた影響は想像以上のものだろう。
頑固で気難しい、人との関わりを上手く結べないゴッホの誕生だ。
彼の人生を見ていくと、失恋、転職、伝道師としての挫折。
弟のテオの援助を受けながらの画家としての生活。
アルコール中毒、耳きり事件、精神病院と、
私にとっても他人事とは思えないのだ。
彼の魂へ鎮魂の思いを込めて。

2002年3月号「我が家のビリケン」


 ビリケンって知ってますか?
大阪通天閣の展望台に鎮座ましまして、庶民の幸福を手助けしている、
アメリカ産の福神人形なのだ。ビリケンの誕生には面白い逸話がある。
1908年、アメリカのある女流彫刻家の夢枕に立ったビリケンが、
「私の姿を人形にして売り出すと幸福が訪れる」と言ったとか。
彼女が半信半疑ながらも、作ったところ、飛ぶように売れたと言う。
キュウピイさんの原型とも言われている。
その姿の可愛らしさと、不思議さに魅かれ、
縁起物の切り絵として描いてみた。
実は私事だが、昨年の暮れ我が家にこのビリケンそっくりの男の子が生まれた。
名前はふうすけ。どうぞよろしく。
*絵の中のビリケンのスペルが間違っていました。
ビリケン及び関係者各位にお詫び申し上げ、訂正いたします。
正しくは「BILLIKEN」でした。ビリケンさん長い間ごめんなさい。

2008年2月14日木曜日

2005年2月号「宝珠」


 お寺のてっぺんに玉葱みたいな形の物が
載っているのを見たことがありませんか。
あの形を宝珠と言って、一説にあれは宇宙の形を表しているそうです。
それでは宇宙を外側から観た人がいるのか?と
妙な気持ちにさせられますが。
思春期、蒲団に入ってから、時間と空間の永遠ということを考え出すと
止まらなくなって、なかなか寝付けず、随分悩んだ時期があった。
だがそうした事も、年齢を重ねるうちに、
現実の問題に次々と応えている内に
忘れたように考えなくなってしまった。
答えを見つけた訳ではないので、未だに疑問を抱えたままだが、
一生考えても分らないような事を悩むより、
今すべき事を一所懸命にやるしかないと、
割り切って生きております。

2008年2月13日水曜日

2004年2月号「鬼は外」


 子供の頃は節分の日に「鬼は外」「福は内」と
大声で叫びながら家の内外へ炒り豆を投げた。
後で年齢の数だけ豆を食べるのが習わしであった。
いつもサバを読んで沢山食べたものだ。
ところで鬼は外と言っても鬼が本当に居るとは誰も思っていない筈。
想像の所産だから。
逆に言えば想像の世界=心の中には鬼が存在することになるではないか。
喜怒哀楽の感情に翻弄されて人生を狂わせてしまう、
私たち人間の心の闇に、確かに鬼は存在するのだ。
喜、やりたい放題の独りよがりの鬼。
怒、いつも不満を抱え人を許せない鬼。
哀、人を恐れ卑屈で自己否定の強い鬼。
楽、怠惰に呑まれ眠りに陥り怠ける鬼。
私の心の中の鬼共よ「鬼は外」「鬼は外」「鬼は外」「鬼は外ォ」

2008年2月11日月曜日

2003年6月号「椎名節(しいなぶし)」


 友達に薦められて椎名誠の本を読んで、すっかりはまってしまった。
この人、熱血漢で喧嘩っ早い。日常的にいつも怒っている。
その怒る理由に共感の持てることが多いので
「よく言ってくれた」と嬉しくなるのだ。
余り理不尽な目に遭うと相手を「ぶん殴って」しまう。
私なら出来ないことなので、痛快で胸のすく思いがする。
ご自身を書いた小説を読むと、
青春時代はほとんど毎日酒を飲んでいて、
しょっちゅう流血沙汰の喧嘩をしていたようだ.
私は弱虫でうじうじした奴なので、この人の怒りっぽいのには、
いつもドキドキしながら読んだ。
こういうタイプの人が物書きになったのはとても意外だったが、
その内こんな人だから逆に受けたんだろうなと思った。


2008年2月8日金曜日

2008年3月号「地獄寺」


 社員旅行で日光江戸村に行った。
中ではコスプレを楽しめる様になっていて、20人ほどの仲間が全員、
時代劇の衣装に着替えて村内を見学した。
私は忍者になった。他にも浪人、町人、町娘、新撰組、お姫様、殿様など、
俄役者たちが出来上がった。
こうして歩いていると、村の雰囲気を盛り上げるのに、
一役買わされているような気がしてくる。
面白い見世物が色々あって、切り絵にした地獄寺もその一つだ。
寺の中はお化け屋敷のような趣向で、
地獄の責め苦が次々に展開するのだ。
入ってすぐ閻魔大王に裁かれ全員地獄行きだ。
火炙り、釜ゆで、八つ裂き、針の山、地の池等々、
阿鼻叫喚のあらゆる苦しみを経て、
出口まで辿り着くとお釈迦様が救って下さるわけ。
私の人生のようだと思った。

2008年2月7日木曜日

2007年2月号「群ようこ」


 椎名誠のファンだ。そのつながりで群ようこの作品も読むようになった。
面白い。読んでいてうなずくことが多い。
上の二人に共通するものがある。二人とも怒りんぼだと云う点だ。
怒る理由に納得がゆくことが多いので、
溜飲が下がる思いがして気持ちいいのだ。
息子に怒りんぼと云われた私が、好きになるのは当然だったわけだ。
面白く感じるのは、私が普段、怒りを飲み込んでいるからだ。
知らない人は私を優しい人だとか癒し系だとか呼ぶが、
とんでもございません。
本当は怒りたいのを我慢しているから、
健康に悪いことこの上ない。
以前はそれで鬱病になったこともある。
幸い心持ちを変える方法を身につけ、
今は病気にまではならないが、
本心で生きることの何と難しいことか。嗚呼。

2008年2月4日月曜日

2008年2月号「豊受神社」 


 私の住む町、行徳の神社のひとつ。
手前に慌てて逃げ出しているのは私の息子だ。
2頭の狛犬が台座から降りて来て睨みをきかせているから。
私が子供の頃、石で出来た狛犬が動き出すわけがないと、
分って居てもなんだか恐かったものだ。
その時の気持ちを息子に置き換えて描いてみた。
ところで描きながら考えたのだが、こう言う遊びは、
これが仕事ならNGかも知れないな。
例えばガイドブックの仕事でこんなふうに描いたら、
「絵に嘘がある」なんて神社側からクレームが入るかも。
今のところ私の切り絵は趣味で描いているのだから、
やりたいようにやっている。実際の風景でも「説明図を描いてんじゃない」
等とうそぶきながら、省略や誇張を加えたりして、
好きな絵を描いているのだ。

2008年2月3日日曜日

2008年1月号「おせち料理」


 子供の頃、正月の食卓には必ずおせち料理が並んだ.
昆布巻き、れんこん煮、筍煮、里芋、花形人参、椎茸煮、栗きんとん、
伊達巻、有頭海老の酒蒸し煮、紅白蒲鉾、田作り、
こはだ酢漬け、ゆず生酢、黒豆、等々。
元旦の朝、ゆっくり起き出して、居間のテレビから聴こえるお琴の曲や、
炬燵の上に並んだ重箱に、いっぺんに正月気分になったものだ。
それから年賀状の束を取って来て、家族それぞれに振り分けてゆくのも
正月ならではの楽しみだった。さて現在はどうか。
元旦から似顔絵のイベントで、早朝急いでパンを食べて出掛け、
昼は仕出し弁当だ。夕食に妻の実家へ帰ってやっとおせちの登場となる。
年賀状も出さないから余り正月気分は味わえぬ。
この場を借りて、明けましておめでとうございます。

2008年2月2日土曜日

2008年12月号「ローストチキン」


 クリスマスの食卓と言えばとりの丸焼きですね。
子供の頃テレビデ見た、ディズニーアニメのクリスマスシーンニヨク出て来るとりの丸焼き、
あれにものすごく憧れていたんです。
「あれが食べたい。あれを買って」と母にしつこく頼んで、やっとの事、
クリスマスイブの食卓に、七面鳥でこそ無いものの、
鶏の丸焼きが載った時は、兄弟で歓声を上げて喜びました。
ところがいざ食べようとしたら、どこから手をつけて良いのか分らなくて、
頭をひねりました。強引に頼んだ手前、喜んで食べる振りをしたが、
本当はあばら骨など出て来るしなんだか気持ち悪くもあり、
想像していたほど美味しくなかった。
そんな思い出があるけれど、今親になって子供からねだられたら、やはり買ってあげたいと思います。