2008年4月29日火曜日

2000年3月号「結縁招き猫」


 招き猫が右手を上げればお金を招く。左手を上げれば人を招く、と言われている。
そしてこの二匹寄り添った猫は、縁結びのお守りだとか。
お金は欲しいけど、一人でお金だけ持っていてもつまらない。
友人が集まってくれば嬉しいけど、一緒に食事でもしようと思ったら、
やはり先立つものが必要になる。お金があって友達にも恵まれて、
恋人が出来たら最高だけど、なかなか思い通りにはならないものだ。
思い通りにならないこの世を忍土と言う。
忍の字は心の上に刃を乗せてあることで、厳しい世界をあらわしている訳だ。
厳しいからこそ我々のようなひ弱な人間が苦しむことになる。
せめてこの結縁招き猫に恋人が出来ますようにと祈りましょう。

2008年4月28日月曜日

2000年5月号「五月人形」


 五月五日は端午の節句、男の子の節句である。
七歳以下の男の子の居る家では,鯉のぼりを飾ったり、
武者人形を飾ったりして、子供の成長を祝う慣わしがある。
鯉のぼりは鯉の滝登りの伝説から、子供の立身出世を願う心。
武者人形には武芸に長けた、たくましい武士に育って欲しいと言う、思いが込められている。
いずれにしても昔から、親が子供の将来に願うものが、
立身出世であるというのが、ちょっと寂しい気がする。
日頃から真面目に、一生懸命に生きてさえ居れば,それで良いではないか。
その結果として、社会に成功したと言うなら、それに越したことは無いが。
何でもいいから立身出世ではなく、「私は何がしたいのか」が先だろう。
悔いの無い人生の目的を探そう。

2008年4月23日水曜日

1999年4月号「千客万来」


 「笑う門には福来る」などと言うが、以前テレビで、
「笑い」には人間に内在する自然治癒力を強める効果がある。
と言っているのを観たことがある。そうかも知れないと、妙に納得してしまうのだ。
話は変わるが、「OL進化論」というマンガが大好きだ.
秋月りす、と言う女流漫画家の作で,他に「かしましハウス」等があって、
どちらも単行本を見つけたら、必ず買ってしまう。
そして読み終わった巻でも、何回もくりかえして読むのだ。
「どうしてこんなに飽きないのか?」と疑問だったが、ようやくわかった。
登場人物がいつも笑顔に描かれた、このマンガに癒されていたのだ。
当人だけでなく、まわりも元気にしてしまうのが笑いなのだ。

*今日、又絵を取り込むことが出来なかった。直し方など分らないのだ。
私は馬鹿の一つ覚えで、友達に教わった通りに、やっているのだが、
それでエラーが出るとお手上げなのだ。暫く文だけになるのかも。

2008年4月18日金曜日

2005年8月号「おばけ屋敷」


 息子は現在3歳半だが、私の影響でちょっと変わった趣味をもっている。
おばけが好きなのだ。「ゲゲゲの鬼太郎」や「怪物くん」のレンタルビデオを、
一緒に観たところ、私より夢中になってしまった。
正月に「大・水木しげる展」に連れて行ったことも、
その勢いを加速させる原因になったようだ。
先月は義母と妻に連れられて、大型スーパーで開催されている、
お化け屋敷にも行ったが、こちらは恐がって入らなかったという。
恐いもの見たさの気持ちはあるが、人一倍恐がりなのだ。
それを聞いて、かえって安心したのは何だろう。
就寝前の寝物語に「恐い話をして!」と請われて、しかたなく、
余り恐すぎないように、恐い話をしているのだ。
*この文は3年前に書いたものだ。当時は水木しげるが、
今のように大ブレークしてた訳ではない。
お父さんとしては先見の明を、ちょっと自慢して良いのではないか?
*今、画像が取り込めなくなってしまった。
処理の仕方が分らないので、暫く更新できないかも。トホホ。
*翌日恐る恐るやってみたら、今度は出来た!?。よくわからない。

2008年4月16日水曜日

2004年6月号「洋食屋のマスター」


 店の名は忘れたが、昔、洋食屋でアルバイトをさせてもらった事がある。
千駄ヶ谷近くのY病院に掛かっていた頃のこと。
定職に就かず、将来に向けての具体的な目標もなかった。
ただ毎日を漫然とおくっていた。治療の一環なのか、
主治医のN先生の紹介で働くことになった。
初対面の印象は、仏頂面をした恐そうな人。
必要なことだけ命令口調で手短に言ってくる。
私の仕事はランチの出前を配達する事、と聞いていたのに、
店の掃除、皿洗い、キッチンヘルパー、ウェイター等、
調理以外なんでもやらされた。
何時もつまらなそうな顔をしているので、何か怒っているのかと、
びくびくして居たけど、特に怒られたという事もない。
たまに口元だけで少し笑った。
*あれから15年以上経っている。
マスターはどうしているだろう。お店は未だあるんだろうか。

2008年4月14日月曜日

2004年4月号「堕ちる」


 いきなり堕ちてゆくんですね。
理由も何もわかりゃしないですよ、こう云う時は。
兎に角、頭の中は真っ白になっちまってて、どこか遠くから、
ウワァーッなんて叫び声が聞こえてきたと思ったら、
それは自分がわめいている声なんですよ。
まあ恐いなんて言葉じゃ足りませんよ。どうにも止まらない。
どうすることも出来ない。でもどんどんどんどん堕ちてゆく内に、
なんだか諦めのような、観念しちゃったような、静かな気分になってきたですよ。
それで、ああそうか、あの時得意の絶頂でわたしゃ、
自分を見失ってたんだなって事が見えてきた。
ストップをかけるべきだったって、気が付いたですよ。
ところがそん時にゃあ、もう後の祭り。遅すぎたって訳ですよ。
*この文は作っているのものなので、ご心配なく。

2008年4月13日日曜日

2004年10月号「河童の水垢離」


 こんなものを描いた。思うにこの夏は身体の故障が続いたからかも知れぬ。
夏風邪がようやく治って間もなく、風呂掃除をしていてぎっくり腰になってしまった。
三日三晩、身動きもならず、寝返りを打つにもうめき声をあげた。
それが落ち着いた頃、歯痛が襲ってきた。余りの痛さに食事が進まないほどだ。
その後が腱鞘炎、結膜下出血と続いた。
これで打ち止めのようだが、意識下で厄払いでもしたい気持ちが働いたのだろう。
他人事のようだが、毎回何の絵を描くかは締め切りが近付くまで、
自分でも分らない。切羽詰っていきなり思いつくままに、下書きを始めるのだ。
だから夢判断のように、その時々の自分の内面が、
切り絵を通して、透けて見えてくるのかもね。
*例によってこの文は昔書いたものです。
現在は健康でぴんぴんしてますからご心配なく。

2008年4月11日金曜日

2003年4月号「コペルニクスの転回」


 誰もが絶対間違いないと信じていた常識が、
想像もつかない新しい説によって、根底からひっくりかえってしまう。
16世紀中頃に天文学者、コペルニクスが説いた地動説こそ、
人類史上最も驚くべき、革命的な新説と言って良いだろう。
敬虔なキリスト教信者であり、自ら教会の職にも就くコペルニクスにとって、
教会の見解に反する真理に、時代に先駆けて、
ただ一人気付いてしまったことは、
かえって苦しみを抱えることになったであろう。
彼は教会の見解に反する学説の発表にためらい、
公にするまでに13年の長きにわたり悩み続けた。
しかし彼は誰にも信じてもらえない事を、
自らの信念に従ってついに公表した。
彼の勇気は素晴らしい。
私も人の思惑ばかり気にして生きるのはやめにしたい。

2008年4月10日木曜日

2004年7月号「人生の踊り場」


 私はこんな所で何をしているんだ。いつまでここに座っている。
無常の時は一刻の遅滞も無く流れている。
躊躇している暇はない筈。今すぐに動け!始めろ!
恐がっている場合ではない。
人生は、何時までも続く登り階段を、重い荷物を背負って、
一人で上がって行くようなもの。
その半分も行かぬ内に、踊り場にへたりこんで居るのだ。
気がつけば次の一段がずんずん高くなっている。
もう嫌だ、疲れた。このままここに居る。
これ以上登って行くのは大変だ。苦労はしたくない。
と駄々をこねている。馬鹿野郎、泣くな、私よ。
今まで楽をしてきたんだ。これからは辛くても頑張ってみよう。
諦めないで生き直しの人生を始めよう。
諦めるとすれば、楽をすることを諦めよう。
*この時に頑張ると書いたのに未だ全然やるべき事が出来ていない。
次の段階に行くために私は変わります。

2008年4月9日水曜日

2003年9月号「棟方志功の宇宙」


 学生の頃、何処かのデパートで開催された「棟方志功展」を観に行った。
そこにある作品群の圧倒的な存在感に驚き、夢中になり、
すっかり志功の虜になってしまった。
ちょうどその頃、テレビでも志功をモデルにした、
連続ドラマをやっていて、渥美清が主演をやっていたが、
その生き様に魅せられ、益々好きになった。
生前の志功が作品を制作している映像が残っているが、
弱視の志功が、版木にほとんど顔をくっつけるようにしながら、
無我夢中で一気呵成に彫刻刀を扱う様は,
神懸かりと言うにふさわしく、
観る者をして不思議な感動に包み込まずにはおかないものがある。
絵と言うものに画家の命が吹き込まれ、
作者の亡き後も生き続けると言うことも教えられた。

2008年4月8日火曜日

2003年11月号「おでんで一杯」


 寒くなってきました。仕事帰りに仲間と一杯やりたいですね。
おでんなどつつきながら、お酒を熱燗にしてゆっくり呑めたら最高ですね。
その内だんだん体が温まって来て、会話も弾んでくる。
嫌な奴の悪口なんかも、気兼ねなく言える仲間ばかりでさ、
ほとんど「あるある」「そうそう」「同感同感」て感じで盛り上がって。
日頃のストレスもすっかり解消されちゃったりするわけ。
終電に間に合うように切り上げて、気分良く家に帰る。
そう云うのいいよなあ。だけど実際は、
もうすぐ2歳になる子供が居る我が家へ、わき目も振らずに帰るのだ。
付き合いの悪いことと云ったら無い。
外でお酒飲む余裕はありませんよ。
お酒は休みの前日、発泡酒を2~3本、これで決まり。
*これから暖かくなると言うのに、季節はずれな文です。
以前書いたものです。子供も現在は6歳になりました。
そうそう、今日は私の息子、風祐の小学校入学式なんですよ。
お父さんはまだまだ頑張って似顔絵を描き続けなくては!

2008年4月7日月曜日

2003年5月号「修羅の武蔵」


 今、何故か剣豪・宮本武蔵がブームだ。
親の愛情薄く育った武蔵は、自らの依って立つところが分らず、
孤独の闇をのたうちまわる様な青春だった。
やがて彼は、力こそ自らをの証すものと思いきわめ、
修羅=闘争の道に入ってゆく。強くなりたい。
俺が一番でなくてはならない。自分より強い者が居ることは許せない。
生涯六十余たびの闘いに無配を誇り、勝つためには手段を選ばない、
あくの強い武蔵の姿がある。私の嫌いなタイプだ。
ところが晩年の武蔵はだいぶ様子が違う。
闘わずに勝ちを得る。勝ちも負けもなく、
一切の執着から自由になった武蔵。
肥後熊本の霊巌洞で、かつて殺めてしまった人達の供養の日を送ったという。
よくぞ変わられた。人は変われるのだ。

*今と言うのは,例によってこの文を書いた2003年頃の事。

2008年4月6日日曜日

2005年3月号「友達の個展を観に行ったⅡ」


 今年もSさんの個展を観に行った。
親しい友人の精進の結果を目の当たりにすると、
とても気持ちの良い励みになる。「私も頑張るぞぉ」と、自然に思えてくるのだ。
会場で個展を観に来た、共通の友人に会えたりすることも、楽しみのひとつだ。
知った顔が次々に現れると、わくわくしてくる。
独身時代ならお定まり、大体この後皆で一杯やりに行くところだが、
今回は女房子供と一緒だから、記念写真を撮って、
お茶を頂いて、挨拶して帰った。
住まいのある駅に着いた時は、もう夕方で、
こうした日はこれから家に帰って、ご飯を作ったり、
その片づけをするというのが、すごく面倒くさくなっていて、
駅前の寿司屋でのり巻きを買ってすませた。
良い一日でした。

*彼女は毎年まめに展覧会を催していて、楽しみにしている。
私も毎年板橋きり絵展に出品している。今年も5月の中頃に開催だ。

2004年3月号「友達の個展を観に行った」


 親しい友人から個展の案内を頂いて、女房と一緒に観にいった。
場所は銀座の外れの裏通りである。
古びた雑居ビルに幾つもの画廊が入って居て、
その内の一つがSさんの個展会場だった。
葉書を片手に道をたずねている時から,何だかはしゃいでいた。
気分が良かった。ちょうどこの会場の近くに、
兄が働く会社があることに気づいて、誘いの電話をかけた。
暫くして、両手にお菓子と飲み物で一杯の袋を提げて、
兄が笑顔でやって来た。
会場はシンプルな白壁の内装で、とてもお洒落な空間だ。
Sさんの油絵がよく似合った。
Sさんの晴れの日の喜びが伝わってきて、嬉しかった。
兄が一緒に観てくれたことも嬉しかった。
絵も善し。出会いも善し。いい一日だった。

2008年4月5日土曜日

2008年5月号「しいたけ山」


 家で椎茸を栽培している。通販で椎茸の菌床を買った。
バケツを逆さに置いた様な形の菌床に、適当に穴の開いたポリ袋をかぶせ、
湿度を調節しておくと、一晩で可愛い椎茸がポコポコ生えてくる。
そのまま放って置くと、小さな椎茸がびっしりと生え過ぎて、
お互いに成長の邪魔になってしまうので、詰まって居る所は間引きをする。
その取り除いた奴も、夕飯のおかずにした。
普段店頭で見かける、充分開いてしまっている椎茸と違って
これはしめじ位の大きさで、そこを食べるのが、又面白いのだ。
そのうち残した椎茸も見る見る大きくなる。
我々だけで味わうのが勿体なくて、友人家族を招待した。
皆で見ている側から採って調理した。子供たちは大喜びだ。
皆さんも一度やってみては如何?

2008年4月2日水曜日

1996年7月号「キャンプ・ファイヤー」


 私たちは日常、都会の喧騒の中で、時間に追われ、
仕事に疲れ、人間関係に傷つき、あるいは為すべきことも見つからず、
暇を持て余し、虚しさの中で無表情になっていた
。しかし今夜、山奥のキャンプ場で、夜のしじまの中、
焚き火のおきの弾ける音を聞きながら、思いっきりお喋りをした。
冗談を言い大声で笑った。あの日常の中では見たことも無い
、彼の、彼女のこれが本当の顔なのだと思った。
「皆、言い顔してるなあ」
今日はぐっすり眠って、明日はその笑顔を、都会の仲間に持ち帰ってください。