2008年5月30日金曜日

1997年10月号「太宰治」


 自らの人生を人間失格と決めつけ、アイデンティティーの危機を、
乗り越えることが出来ぬまま終わってしまった太宰治。
もし彼がその人生の中で、確たる自分の存在意義を見つけることができたら、
人や社会、自然や宇宙との絆を実感する瞬間を持てていたら。
まったく違う後半を迎えていただろうに。なんだか切なくなります。
何故なら彼のはかなさは、私達の中にもあるし、彼の頼りなげな友情や、
結べない信頼関係は、そっくり私達も抱えているものだから。
だから魅かれるし、哀しいまでの共感を感じてしまうんだと思います。
でも我々は生きよう。信じよう。人間を愛し、何度転んでも自分の弱さと闘い続けていこう。
かならず生きてて良かったと、心底から思える日が来ますから。

2008年5月28日水曜日

1997年4月号「薬師如来」


 薬局を経営する友人からの依頼で、薬師如来像を描いた。
モデルとして、奈良県薬師寺の、薬師三尊像を参考にさせて頂いた。
国宝である。薬師如来は医王如来とも言い、
人間の心身の病を救ってくださる医薬兼備の仏様である。
男性的なお顔で、静かに微笑みながら,私たちをじっと見守っていて下さる様子には、
思わず「頼りにしてます」って言いたくなってしまう。
昔、病に苦しむ私達仲間の傍らで、共に苦しみ、涙し、
何とか手助けがしたいと発心した、医学生が居た。
救われた者は、一生懸命に尽くすその人を忘れないように、
「仏さま」として、感謝の気持ちを込めて、
このような像を刻んだのではなかろうか。合掌。

2008年5月27日火曜日

2000年6月号「夜の海・フルート」


 この絵を見た妻に言われたことだ、妻は管楽器の演奏家だ。
「潮風の中では楽器を演奏しない。楽器がさびてしまうから」だそうだ。
なるほど絵としての面白さだけで描いていると、こうした間違いをしてしまう。
ところで錆びると言えば,私達の心のいかに錆びやすいことか。
何かを志して始めても、長続きがしないのだ。
嫌なことがあればやめてしまう。問題がなくても直に飽きてしまうし、
最初の目的からずれていったりする。
私などはせっかく始めたアルバイトも、ボランティアも長続きしないのは、
何故なのか?情けないけどそうなのだ。
いつも同じような局面で嫌気がさしてしまう。
でもそれは止めたい。もともとの動機に帰って、初心を持って続けよう。

2008年5月25日日曜日

2001年2月号「招き猫」


 一昨年から猫を飼っている。俗に犬派猫派と分ければ、
自分は犬派だと思っていたのだが、今ではすっかり猫好きになってしまった。
テレビでも犬猫番組を見るし、街でペットショップを見かけると、
ふらっと入って、猫のおもちゃ等を買ってしまう。
我が家の猫は茶トラの雄で、名前はひかると言う。
現在一歳三ヶ月。体重五キロだ。この子のお陰で目覚まし時計が要らない。
早朝から飯の催促で起こされる。耳元でしつこく鳴くし、
放っておくと身体に飛び乗ってくるし、うるさいったらない。
金も掛かった。医療費は保険が利かないので、我々より掛かるのだ。
それでも可愛いもので、妻も私も、この子に癒されていること大である。
我が家にとって幸福の招き猫だ。
*例によってこの文は昔書いたものです。時間系をタイトルの年号に遡って読んで下さいますと、有難く存じます。

2008年5月24日土曜日

2000年11月号「嘔吐」


 たまに深酒などして、翌朝はひどい二日酔いに苦しむ。
頭はがんがん痛むし、胸はむかつき、吐き気がして、生唾がこみ上げてくる。
なんとか薬局まで行って、薬を求めたり悪あがきをするのだが、
薬を飲んだら,かえってそれが刺激になって、いきなり吐いたりすることがある。
苦しくて、涙も出るし、こんな思いをするなら、二度と酒は飲まないと心に誓ったりする。
でも吐くものさえ吐いてしまえば,直に楽になってくるのだ。
実はこの絵は、二日酔いのことを描いたわけではないのだ。
私たちの心も同じで、胸に溜まったわだかまりや不満は、
時に勇気を出して、吐き出してしまった方が、心の健康に良いのだ。
本当の気持ちを言うには、そうとうの勇気を必要とする。
でもそれをしないと、苦しみから自由になれないのだ。

2008年5月22日木曜日

2005年4月号「友人M」


 私の友人M君を紹介しよう。彼を一言で表すなら、融通のきかぬ正直者。
裏表の無い人、とでも言おうか。それは良くも悪くもであって、
彼が我々の似顔絵仲間に入って来た当初は、その正直さゆえに、
随分人と衝突もし、人を傷付けもした。
私も初対面の彼の印象は、余り良いものではなかった。
彼はまるで、世界中を敵にしているように見えた。
抜き身の刀の様にぎらぎらしていた。だが時は人を変える。
一緒に働いて、長い時間を共に過ごした。沢山話もした。
段々と彼のすさみが剥がれ落ち、魂の透明さが姿を現してきた。
傷付けたのは傷付きたくなかったから。
愛さないのは愛されないと思っていたから。
私の見るところ、彼も似顔絵を描き、描かれして癒された私の魂の同志だ。
最近の彼は優しい眼をしている。会った頃の彼とは別人だ。
人はこうも変われるものなのだ。彼は隠しているが、
実は私に負けぬくらい涙もろいのではなかろうか?と思っている。

2004年8月号「ひまわり」


 今年の夏は、まだこれからだと言うのに、なんて暑さだ。
先日は暑さのために人が3人死んだと言う。なんてこった。
なにしろ外気が体温を上回る数字を示しているんだから。
さもありなんと言うべきか。我が家でも子供、女房、私と、
順番に夏風邪を引いて苦しんだ。高熱、せき、のどの痛み、鼻詰まり。
それがいっこうに良くならない。一度良くなったと思ったら、またぶり返した。
仕事にはならないし、家に居ても子供の世話で休めない。
連日暑い日が続いて、いらいらもしてこようと言うもの。
買い物などに出掛けて、店員の態度が悪かったりすると、本当に頭にくる。
まあ、今はなんとか回復してきました。皆さんもお体お大事に。
*例のよって、この文は今現在のものではありません。
私も家族も元気です。ご心配なく。

2008年5月19日月曜日

2001年4月号「親父の小言」


 以前入った居酒屋で、こんな張り紙を見かけた。面白いので、一部抜粋してみる。
「火は粗末にするな。恩は遠くから返せ。人には馬鹿にされていろ。
家業には精を出せ。働いて儲けて使え。人には貸してやれ。
ばくちは打つな。大飯は食うな。世話焼きにこるな。人の苦労は助けてやれ。
朝は機嫌よくしろ。年寄りはいたわれ。初心は忘れる勿れ。
借りては使うな。不幸は言う可からず。難儀な人にはほどこせ。
大酒は飲むな。怪我と災いは恥と思え。小商いものは値切るな」等々。
女房がこれを見て、中でも、人には馬鹿にされていろの所を読んで、
眼からうろこが落ちるような気がした、と言った。
*先日からmixiと言うのを始めました。

2008年5月18日日曜日

2002年1月号「七福神」


 一度、七福神巡りをしたいと思っている。わざわざ遠出をするまでもあるまい。
タウン誌片手に、散歩がてら、わが町の七福神巡りをするのだ。
物見遊山気分で、一度に七つもの神仏を回り、
あらゆるご利益を戴いてしまおうと言うわけだ。
商売繁盛の恵比寿。豊作の神家の神の大黒天。守護神の毘沙門天。
学芸の神の弁財天。招徳人望の神の福禄寿。富貴長寿の寿老人。
笑門来福の神の布袋尊。華やかじゃありませんか。
信仰心を持っているかは、横に置いて。日頃の運動不足を補いつつ、
神々の御像を芸術鑑賞と洒落てみよう。
普段なにげなく暮らしている町に、意外な発見があり、
驚きに満ちた一日の体験になるかもしれぬ。さあ、出発だ!

2000年10月号「大黒天」


 出世、開運、財富招来の福神とされる。
大黒様が打ち出の小槌を一振りすれば、望みのものが授けられると言う。
巷間で人気ナンバーワンの神様だ。ところがそのルーツを探ると,
意外にもインド、ヒンドゥー教の破壊神シヴァだと言う。
何故、破壊神が福神になったのか。ちょっと不思議な気持ちになるが、
ここに福神信仰の秘密があるのだ。
禍福はあざなえる縄の如しと言うが,
棚ぼた式の幸運は、ちっとも本人のためにならないのだ。
宝くじが当たった男が、その後急に友達が増えた。
彼は人間不信に陥って、全財産を燃やしてしまった。本当にあった話です。
逆に試練が人を鍛え、大きくすることもある。
我々はこれから幸せになるんだよ。

2008年5月17日土曜日

1999年6月号「毘沙門天」


 七福神を続けて描いている。
以前、千客万来と言う絵を描いた時に、七福神の資料を集めたわけだが、
折角だからお一人お一人(一柱かな?)、描き分けてみたくなったのだ。
調べて見ると毘沙門天は病魔退散、財宝富貴の福神だとある。
それでは我々にとっても、頼もしい神様ではないか。
こうして始めた七福神の切り絵が万一売れるようなことになれば、
正しく七福神のご利益ではないか。
*このブログを始めて3ヵ月半。未だなんら仕事に結びつきそうな反応は無い。
世の中、甘くはありませんね。ははは。

2008年5月16日金曜日

2000年2月号「布袋尊」


 七福神の中で唯一、実在したと言われている布袋様は、中国のお坊さんだったとか。
貧しい人々に施しをしながら、布教の旅をした。
発財菩薩とも言われ、家庭の守り神として親しまれている。
悠々自適、楽天的な生き方が、当時の人々に,至福の象徴として受け入れられたと言う。
私もこれを描いていて、布袋さんはどの資料を見ても、
着物の着付けはだらしないし、お腹も丸出しで、
人間臭くて神様を描いている気がしなかった。
しかし我々にとっては、このような神様がいらっしゃると言うのは、
実に頼もしいではないか。無自覚の完全主義がこうじて、
世間を生き難くしている仲間が、どれだけ居ることか。
我々も布袋さんを見習って、肩の力を抜いて楽に生きましょう。
*この印からは只今現在のことです。
*昨日から板橋切り絵展が開催された。
私の絵も4点飾ってある。観に来てくれた皆さん本当にありがとうございました。

2008年5月15日木曜日

1999年11月号「恵比寿」


 商売繁盛の守り神。七福神の中で唯一、日本固有の神様だとか。
恵比寿さんと言えば、まずビールと思うのは私だけではあるまい。
だからと言う訳ではないが、この絵を描くための資料にかこつけて、
恵比寿缶ビールを買わせてもらった。
美味しいビールを呑んで、切り絵も描けて、すでにご利益を頂いたような気分である。
ま、それは冗談としても、資料集めにはいつも苦労する。
図書館には当然行くが、街を散策中に、七福神関係の看板を見つけたりしたら、
すかさずカメラで撮る。ついでに狸の置物や、招き猫なども撮っておく。
たまたま入った百円ショップで七福神の人形を見つけたりすれば、大喜びで買って帰るのだ。

2008年5月13日火曜日

1999年8月号「寿老人」


 人々の健康と長寿を司る福神。
杖には人の寿命の長さを記した巻物が結ばれてある。と言うが、
もしその巻物を見るチャンスに恵まれたとしたら、どうしますか?
私はまず見たくないですね。
先のことはどうなるか分らないからこそ,頑張ろうと言う気も出て来るもの。
もし明日までなんて書いてあったら、お先真っ暗、自暴自棄になって、
何も手につかないだろう。反対に百まで生きるって書いてあれば、
逆に猶予感覚に呑まれてしまって、やはり何もしないで居るかもしれない。
いたずらに未だ来ぬ明日を思い煩うのは、馬鹿馬鹿しいことだ。
そして昨日までの過去にもこだわらず、今この日を、この一瞬一瞬を一生懸命に生きる。
それしかないでしょう。

2008年5月11日日曜日

2000年8月号「福禄寿」


 福は幸福,禄は財宝、寿は長命を意味する。
中国の福神で、ご利益としては、人をして敬愛の心を持つものにし、
また人望と健康を与えると言う。
一説に福禄寿と寿老人は、異名同体の神とも言われている。
それで少し迷ったが、結局別のキャラクターとして描かせてもらった。
それにしても少し迷ったにしては、この前に布袋さんを描いてから、
随分間が空いてしまった。実は布袋さんを描いて、
あと二つと言う時になって、飽きちゃったのだ。
結構いい加減な創作態度なのだ。お許しあれ。
後は大黒様だけなので、何とか行けそうな気がする。
やはり中途半端なままにして居ると、気になるものですね。
特に我々のような性格の者にはね。
*この文は前後の並び順と辻褄があわない。
昔連載していた通りに収録してないので、こんなことになる。
ま、それも当時の状況を偲ぶに面白いと思い、ほぼそのままの文で載せました。

2008年5月10日土曜日

1999年7月号「弁財天」


 七福神の中で唯一の女性神。財宝利得をもたらす。
芸術・音楽の神様でもある。では私にはうってつけの神様だ。
「今に一流の似顔絵描きになってやる」と言う想いが、
いつでも心の奥底を流れ続けている私だから。
と言いながら、別にこうした七福神などの,御利益に期待しているつもりはない。
神に祈ってもそれは、報いを求めてのことではない。
祈ることで自分から神の心に近付いて行こうとする。
そうすることで、今自分は何をしなければならないかが、自然に分ってくるだろう。
そうして生きた結果が良ければ、それこそ御利益と言うものだ。

2008年5月9日金曜日

1999年3月号「父」


 ついこの間のことだ.銭湯でカランの前に座って、何気なく目の前の鏡を見て驚いた。
「お父さん」と思わずつぶやいてしまうほど、そこに映された私の顔は、
亡くなった父親に似ていたのだ。
戯れに頭に少し水をかけて、指で髪をかきあげ、オールバックにしてみた。
まるで瓜二つだ。なんだか変な気分だった。
「やっぱり私は親父の血をひいているんだな」と「私も齢をとったな」との、
二つの思いが同時によぎった。
シナリオ作家の父に憧れとコンプレックスを抱きながら、漫画家を目指した青春だった。
そして挫折。フリーター、病院、入院、社会復帰。
「色々あったけど、今は似顔絵描きでなんとか生きています。
来月結婚します。お父さん有難う」
*例によってこの文は昔に書いたものです。来月結婚するわけではありませんから、
お間違えなきように。

2008年5月8日木曜日

2008年6月号「私は似顔絵描き」


 私は伊原桜祐。職業は似顔絵描きです。
東京近郊のテーマ・パークやショッピング・モール等にある似顔絵コーナーで、
お客様をお一人10分くらいでお描きしています。
月に何回かイベント出演で、泊りの出張をすることもあります。
似顔絵を描くにあたって、私がこだわっている事があります。
「そっくりにお描きしたい」と言うことです。
そっくり似顔絵には癒しの力があります。
私がかつて鬱病の轍から、抜け出すことになったきっかけも、
ある人に生まれて初めて、自分の似顔絵を描いてもらった事でした。
私は描かれて癒され、次に描いて癒されています。
私の人生の目的は,障害のある人のもとに行って、
似顔絵を描かせて頂くことです。それをする日のために今を懸命に生きています。

2008年5月7日水曜日

1999年10月号「未完の頂」


 ポレポレの会だより第百号、おめでとう。
百と言えばひとくぎり、なにか達成感がありますね。
そしてまた一から、新たな一歩が始まる予感もします。
私達は何時だって、何かの目標に向かって歩いている。
別に大した目標じゃなくてもいいと思う。
デイケアに全回通うでも、毎日歯を磨くでも良い。
それを山登りに例えて描いた。遥かな頂を目指して、
毎日苦労と忍耐を重ねて、粘り強く登り続けた。
そしてようやく頂上の土を踏みしめたとき、
その山の向こうに,さらに高い山が聳えていることに気付くのだ。
でもがっかりすることは無い。あなたはここまで来たからこそ、
次の目標を見つけることが出来たのだから。
さあ、百一号から新たな飛躍を目指して歩み出そうではないか。
*これを書いたのが1999年の10月号だ。
そしてこのまま行けば、来年2009年の2月号が第二百号になる筈である。
継続は力なり。よくぞ皆さん頑張った。これからも頑張ろう。私も頑張る。

2008年5月5日月曜日

2002年6月号「男と海」


 美術学校生の頃、船旅をした。デッキから眺めると360度ぐるりと海だ。
水平線がなんとなく丸みをおびて見えた。
「なるほど地球は丸いと言うのは本当だな」と一人で納得した。
この海の水は世界中の海岸とつながっている訳だ。
川を遡ればあらゆる国の内陸までつながってもいる訳だ。
また視点を変えれば、海は生命の源でもある。
生活のために毎日くたくたになるまで働いている、
忙しい日常から離れて、ふと海を観に行きたくなる時がある。
海を間近で眺めていると、懐かしいような、怖いような気分がするのは何故だろう。
遺伝子の中の生物進化の記憶が、うずいているのかも知れない。
ところでこの絵を見て女房が言った。「なんだかやつれた阿部寛みたいね」

2008年5月4日日曜日

1998年4月号「重圧」


 「人生とは重い荷を背負って、長い坂道を登ってゆくようなもの」
と徳川家康も言ったようだが、仕事が思い通りに運ばなくて、
なんだか得体の知れないものに,押し潰されそうな気分になっている時、
この絵の様なイメージが湧いてきて、一気呵成に描き上げてしまった。
描きながら自分で「すげーの描いてるな」と驚いていた。
なんだか夢中になってカッターナイフを操っていたが、
台紙に貼って完成させた途端、ふっと息が抜けるような気分になって、
身体が軽くなったようだ。
好きでやっている切り絵だが、仕事となればストレスになることもある。
今回これを描いてみて、いつも描いている好感度の高い作品は、
私の本心だったのか?と、少し疑った。
*この作品を載せていた頃は、作品のサイズが統一されておらず、
まちまちだった。私が心の世界を描いた走りかも知れない。

2008年5月3日土曜日

2001年9月号「ちょっとペイネ風」


 レイモン・ペイネの恋人たちを描いたイラスト世界には、熱烈なファンがいて、
各地で開催される作品展には、追っかけも居るらしい。
中高年の女性が多いようだ。この作品は、私が教えている切り絵教室で、
そのペイネ・ファンのリクエストに応えて描いたものだ。
その筋からクレームなど来ても困るので、自分の絵にしてあるが、
ペイネの強烈な個性は、私の切り絵として、消化吸収しきれずに、
「この絵はペイネのまねだぞう」と言われているようで、恥ずかしいのだ。
そして私風とはどんな風だ?と思ったりするのだ。
出版社に持ち込みに行けば、
「桜祐と言えばこれだ!と言うようなものが無い」などと言われる。
ようし、研究努力がんばるぞう!