2008年4月7日月曜日

2003年5月号「修羅の武蔵」


 今、何故か剣豪・宮本武蔵がブームだ。
親の愛情薄く育った武蔵は、自らの依って立つところが分らず、
孤独の闇をのたうちまわる様な青春だった。
やがて彼は、力こそ自らをの証すものと思いきわめ、
修羅=闘争の道に入ってゆく。強くなりたい。
俺が一番でなくてはならない。自分より強い者が居ることは許せない。
生涯六十余たびの闘いに無配を誇り、勝つためには手段を選ばない、
あくの強い武蔵の姿がある。私の嫌いなタイプだ。
ところが晩年の武蔵はだいぶ様子が違う。
闘わずに勝ちを得る。勝ちも負けもなく、
一切の執着から自由になった武蔵。
肥後熊本の霊巌洞で、かつて殺めてしまった人達の供養の日を送ったという。
よくぞ変わられた。人は変われるのだ。

*今と言うのは,例によってこの文を書いた2003年頃の事。

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